第219回 『メンドクサガリズム』


俺の書いた文章が最初に活字になったのは、小学校一年生だった昭和十九年に、疎開先の「熱海新聞」に載った作文だ。一等だったか二等だったか忘れたが、賞品に鉛筆が十本詰まった鉛筆箱を貰ったのははっきり覚えている。  
俺は幼い頃から名誉よりもモノの方に執着があったことが、このことでも分かる。昭南と言っていたシンガポールに軍属として行っていた父が、当時日本では買えなくなっていた消しゴムを現地から送ってくれたのもその頃だった。  
NHKも朝日新聞もウソばかりで、俺たちは本当のことを知らなかったが、その頃日本は戦争に負けかけていたんだ。  
俺は、「私はそそっかしいので、天子様の大きくて立派な戦艦や航空母艦はとてもお預かり出来ません。一番小さな魚雷艇をお預かりして、敵の戦艦に夜襲をかけます」…みたいなことを書いて、まんまと鉛筆を十本かち獲った。  
“天子様”というのは昭和天皇のことで、“乗って”ではなく、“お預かりして”なんだ。そんな命ギリギリの時代を知らないから、安倍晋三は矢鱈勇ましいことを言い放って、若い人たちを欺く。  
選者の先生の選評は、「そそっかしさを直して忠義に励みなさい」だった。教師も選者の先生も誰も責任を取らずに、日本は天皇の神の国から、マッカッサーが支配する占領国に変わった。

活字にはならなかったが、次に俺が覚えているのは、中学一年の時に書いた作文だ。  
「人間は本来勤勉でも活発でもなくて、冬、炬燵に入っている時、男も女もトイレに行きたくなっても、いよいよモレる寸前まで我慢する物臭な怠け者だ」という主旨で、タイトルを「メンドクサガリズム」とした。  
作文の先生は、中国の「蝦玉物語」を翻訳なさった実藤先生だった。俺はこんなことばかり覚えていて、他人様に拝借したお金も、刑法も、仕事で打ち合わせした内容もすぐ忘れるから評判が悪いんだ。そんなことは言われなくても、自分が一番よく知っている。  
実藤先生はほんのちょっと考えて、○を一つ書いた。○を一つ書く前に一を書けば十点で、○を二つ書いてくれれば百点なんだが、○が一つだけだから零点でしかない。そして、「コラ、安部。これは中学一年生が作文の時間に書くようなことではない」と仰った。立ち上がって俺は「御免なさい」と頭を下げた。  

中学二年生の時に、原稿用紙四十枚の短編小説「悪血」を書いた。  
処女の少女が大森山王で、男に強姦されてアナルセックスを仕込まれる。その後女房にされてしまうのだが、そのまま数年過ぎ、大人になった少女は学生時代の淡い恋の相手と巡り会って、仕込まれた所よりちょっと上の方を使った方が断然結構だと知る。  
当時、江戸川乱歩が編集長をしていた探偵小説誌『宝石』の懸賞小説だったから、十四歳の俺は智恵を絞ってウンと助平に書いた。早熟の同級生も少しはいたが、山の手の中学でこんな短編が書けるのは俺くらいだと内心自信満々だった。  
「入選したから編集部に来い」という葉書を貰って、俺は学校帰りに中学の制服で行ったのだが、受付の中年男は「本人じゃなくちゃ駄目だ」とまともに取り合ってくれない。  
江戸川乱歩も奥の部屋から出て来て、「自分が書いたと言うんなら、筋を言ってみなさい」なんて刑事か検事みたいに横柄に言う。  
俺はスラスラあら筋を語ったのだが、たまたま遊びに来ていた作家の今日出海さんもザッと俺の小説を読んで、こともあろうに「この子は心が病んでいる」と言った。入選は取り消されてしまった。  
そして、「ふざけんな、バカヤロウ!」と、俺は作家になるのは諦めて渋谷安藤組のチンピラになってしまったのだ。  

タイトルの「メンドクサガリズム」だが、“人間は本来…”なんて中学一年の時は書いたが、これは俺自身のことだ。「三つ子の魂百まで」で、ガキの頃から今に至るも、俺の身体にはメンドクサガリズムが詰まっている。「メンドクサガリスト」なんだ。髭を剃るのも歯を磨くのも、毎日はとても面倒臭くて堪らない。  
その時々で好きなことや金儲けのために執念を燃やすこともあるが、それ以外は徹底的に物臭で怠け者だ。普通の人が面倒なことでもそれなりにこなして、社会生活をきちんと送っているのに、俺はそういうことが出来ない。それで不利益を被っても、「まっ、仕方ないか」になってしまうんだ。  
このまま行くと、生きていくことすらどこかで面倒臭くなってしまうのかも知れない。


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