第215回 『サイコロと花札の二十世紀』


中学の友人から、「メンツが欠けた。半チャンを六回だけ付き合え」と、誘いとも挑発とも取れる電話があって、俺はほぼ四半世紀ぶりに麻雀をやった。
いくらメンツが欠けたといっても、元博奕打ちの俺を誘うなんて呆れたカタギだと思ったのだが、暇な半隠居だから東京駅で山手線に乗り換えて有楽町まで出掛けて行く。  
吉祥寺や荻窪は、ただ“出掛けて行く”だが、新宿や大手町となると、気分的には“上京する”になる。有楽町は日本語が通じるか心配だ。  
俺たち麻布高校昭和三十一年卒業(俺は中学で追い出されて麻布高校には行かせて貰えなかった)の仲間は、女房に「あなた達は異常よ。ホモ爺ぃ集団よ」と言われるほど仲がいい。  
暇と体力がある奴は、年に十八回仲間に会う機会がある。年に一度の同期会に五回のゴルフ、それに毎月第二月曜日にやる“二月会”だ。これを五年間九十回皆勤した古館さんは、二年前に遂に鬼籍に入った。  
「バカヤロ。メンツが足りなければサンマーをやればいいじゃないか。俺を呼ぶなんて、ベンガル虎を朝飯に招くようなことだぞ」  卓に坐った俺はそう言ったのだが、三人とも全く動じない。  
「卓が全自動だから三人麻雀は出来ないんだ」と、お内儀さんを連れて数年前にマチュピチュに行ったので、みんなに一目置かれている玄ちゃんが言い訳みたいなことを言う。あんな遠いところに七十を超えてから出掛けて行くなんて、凄い勇気と体力だとみんな讃えたのだ。  
俺は全自動の卓で麻雀をするのは、実は生まれて初めてだった。百三十六枚の牌が真ん中に開いている穴に吸い込まれると、見えない所でガラガラ掻き回されて、四人の打ち手の前にきちんと十七枚づつ二段に積まれて出て来る。  
こんなことはドイツのメルケル婆さんでも、ロシアのマッチョ、プーチン大統領でも考えつかない。ウォシュレットで驚く外国人に見せたら、東洋の神秘だと仰天するに決まっている。  
この卓では不器用な俺が必死に練習して指先に覚えさせたイカサマも、まず出来ない。  
ポンやカンが先か、ロンが先か、審判が必要な麻雀は博奕には向いていない。少しでもグレーゾーンがあると、命の次に大事な銭の取り合いには不向きだというのが、三十年博奕打ちをやった俺の理屈だ。理屈というのは俺たちの言葉で、カタギの言葉では理論という。  

作家になる以前の、俺の表芸は「手本引きの胴師」だった。裏芸はサイコロで、一つでやる“チョボイチ”から五つでやる“テンザイ”まで、徹夜ではなく二晩振り続けたこともある。  
“チンチロリン”と“四五一”(シゴイチ)は三つでやるサイコロ博奕だが、若かった俺は誘われて断ったことは思い出す限り一度もなかった。  
四五一は、最初に振る親が四五一のブタ目を出せば総取りになって、子は張った金を全て取られてしまう。だから親は、白熱して子が大銭を張り付けたりした場面では、「シゴイチ、シゴイチ」と念じながら三つの賽を子の前の地面に投げる。  
四五二と出れば親の目は一(チンケ)で、親の左隣りに坐った子から順にサイコロを振って自分の目を出す。親がチンケだから子は二(ニゾウ)を出せば、張っていた金がその瞬間に倍になる。  
四五一に較べてチンチロリンはちょっと複雑で、勘と技術の見せどころだ。(もっともこれはローカルルール次第だが……)  
まず丼と、サイコロを三つ用意する。丼は普通の鰻丼やカツ丼に使う奴でいい。サイコロも四五一や麻雀で使うもので充分だ。  
親は時計回りの回り持ちだが、最初は賽を一つ投げて高目で決める。親が決まると丼を囲んだ子は、それぞれ張り金を自分の前に置く。子が張り終わったのを確かめて、親は掌に持っていた三つの賽を丼の中に落とす。この時、賽は丼の中で跳ねて、チンチロリンと音が鳴る。  
三五五と出れば、親の目は三(サンズン)で、四四二なら二だ。何でも賽の目が二つ揃えば他の一つが目になる。親も子も目が出るまで、三回賽を投げられるのだが、昭和三十年代までは世の中がオットリしていたから、目が出るまで五回も振れたんだ。  
親が掻き目(カキメ)を出すと、この目を親に出されたら、子は賽を振ることなく張った金を親に取られてしまうのだが、これにはローカルルールがいろいろある。ここでは極く一般的なルールを書く。  
親が六の目を出せば掻き目で、子は賽を投げることなく自動的に親が掻き集める。  
親が四五六を出せば、子は張った金と同じ額を追加して払わなければならない。子が一万円張ってあれば、もう一万円払うことになる。五を三つ(ゴゾロ)出せば三倍で、三万円払うのが一般的だ。  
こんな博奕は全て、寺銭(テラセン、デンキダイ、オテンとも言う)も何もかもルール次第だから、始める前によく確認しておかなければ喧嘩になる。  
親には掻き目もあれば、それを出せば出した途端に、子に倍払わなければならない目もある。一二三だ。この目を親が出すと、子は喜んで「がっこの先生」なんて言ったりする。イチニイサンは学校の先生なんだ。  四五六や五ゾロだと勘を付ければ、張った札を裏返しにすれば、倍付け三倍付けを免れる。まれに親が賽を振る前に、「この一番、限って裏でお願いします」と言うこともある。親が一二三を出す予感に震えた時だ。  そう言った挙げ句、四五六や五ゾロを出すと、子は嘲笑して親は顔を歪めることになる。  
こんなことを延々書いていて、俺は「なんと愚かなことに、若い貴重な時間を浪費してしまったことか」とウンザリする。しかし、この頃は俺から博奕を取ったら何も残らないと言ってもいいほど、のめり込んでいたのだ。  
博奕にさえ取り憑かれなければ、俺は母親が望んだように弁護士か医者か、そうでもなければ商社マンにでもなっていたのに違いない。(ちょっと無理か…)  八回も賭博罪で有罪判決を喰らい、お上の弾圧で仕方なく公営ギャンブルをやり始めたのは、昭和四十五年以降だ。  
生まれ付いてのカタギの同期爺ぃ三人に、俺は半チャン六回でスッテンテンにされた。ああ俺の黄金の日々は、遙か遠くに去っていたのだ。  


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