第212回 『劣等感バネ』


俺は76年間、劣等感に苛まれて生きて来た。「苛まれて」という言葉が、一番座りがいい。「苦しんだ」でもないし、「悩まされた」でも、ちょっと違う。
苦しみも悩みも落ち込みもしたけど、劣等感をバネにして生きて来たこともあるんだ。  
たとえばNHKの番組で、作家が名作について語るというのがあって、俺はデュマの「モンテ・クリスト伯」を選んで大変なことになった。  
恥をかきたくないから正味25分の番組の為に、岩波文庫全7冊の大作を、12日もかけて斜めではなく集中して読むハメになってしまったのだ。  
子供の頃に「厳窟王」を読んで、その面白さに目が眩んで、中学生になってから「モンテ・クリスト伯」を読破した。それ以来60余年振りに改めてしっかり読んだ「モンテ・クリスト伯」は、正直な話、それほどのものではなかった。約2800頁の読書は、暇な老人の暇つぶしにはなったが……。  
そして俺はまた同じようなことをやってしまったらしい。ある通信社から電話があって、“自分にとって特別な一冊”というテーマで1000字書けと言う。これまでに読んだ本の中で、とても感動したとか、自分の人生に影響を与えたとかいう一冊を選ぶのだ。  
シリーズでやっていて、さまざまなジャンルの人に依頼をするので、本の重複を避けたいと言う。しばらく慎重に考えて、俺は五味川純平さんの「御前会議」と答えた。年寄りの作家が選ぶ本としては、とても知的だと我ながらウットリする。  
しかしそれから一週間、俺は田中将大もマエケンも見ずに、近衛文麿と東條英機、海軍大臣と陸軍大臣の時代がかった問答のドツボに嵌る。そんな昔の日本語ではない。俺の父親世代の男たちが、アメリカと戦争を始めるかどうか話し合った昭和16年のことだ。  
30代で読んだ時はスラスラ読めた文章が、後期高齢者になると、なかなかスッと頭の中に入ってくれない。ルビが振ってあるから発音は出来るものの、正確な意味が夜学の高校しか出ていない俺には分かりかねる。カタカナ混じりの文章に目も疲れる。  
溜息を吐きながら、父の遺品の昭和30年版の広辞苑をめくっていた俺に、女房殿は「NHKの時も今回も、もっと短くて読みやすい本にしておけばいいのに……。見栄を張っていつもちょっと難しそうな本を選ぶから、バレンティンのホームランも見られないのよ」と笑う。  
ウルサイ。そんなこたぁ言われなくても分かってる。男に見栄と気取りがなかったら、そんなモンはタバコを喫んで酒を呑み、正常位で子供を作ろうとする珍しい豚だと俺は決めているんだ。  

俺は夜学の高校しか出ていないことがコンプレックスだった。「あいつは知識と教養が足りない」と人にバカにされまいとして、いろんな場面で無理をしたり、誤魔化したり、虚勢を張って生きてきた。  
でもそんなことは、もうとっくに克服している。あれは昭和35年の暮れだった。日本航空が客室乗務員の募集をしたら、驚くなかれ15人採用するところに7500人も希望者が押しかけたんだ。位取りを間違えるな。750人じゃないぞ。  
第3期のスチュワード15人の中には、横浜国大を出た奴もいたし慶應も早稲田もいたけど、東京保善高校定時制卒は、俺サマ一人で誰もいなかった。慈恵医大を借り切ってやった筆記試験も、俺だけ易しい問題を出されたわけじゃない。渋谷安藤組の若い衆にコネなんかあるわけがないだろう。みのもんたのドラ息子が日本テレビに入ったのとはワケが違う。15人中最年少だった俺は、それ以来学歴由来の劣等感からは免れている。  
それでもその劣等感は、今でもひょんな時に顔を出す。普段は気にもしてないのに、何かの場面で今回のように刺激されてドツボに嵌る。劣等感とは、まことにやっかいなモノなのだ。 他にもたくさん劣等感はあったが、この歳までくると、結局はそれを全部バネにして生きてきたのも真実だ。  
嘆いたり、妬んだり、羨むよりも、自分の得意なことに活路を見出すほうが楽しかったし、やりがいがあった。もともと楽天的で自己顕示欲が人の十倍くらい強いから、そういう風に劣等感をすり替えるのが上手かったんだ。  
人よりいいモンを喰いたい、いい車に乗りたい、いい女を手に入れたい…みたいな欲求が他の人より強かった。結構勤勉で金儲けも大好きだった。だから劣等感を喰い尽くすようにして欲望に向かって行けたんだ。  

そういえば以前にも書いたが、俺は自転車に乗れない。それも劣等感のひとつだった。五反田の家がアメリカ軍の爆撃で燃えて、6歳の時熱海に疎開した。熱海という街は平坦な部分がほとんど無くて、坂道が海に続いている。海から見れば登り坂が山まで続いているんだ。だから熱海は温泉と芸者ばかりで、田圃も自転車もない。  
10歳で東京に帰って、それから還暦までの半世紀は、自転車に乗れないことを他人に悟られない為の工夫で費やされた。こんな苦労がなかったら、俺は総理か都知事、せめてシマ持ちの親分になっていたのに違いない。シマ持ちというのは、ちゃんとした縄張りを持った貸し元のことをいう。  
ただ手をこまねいていたわけではない。元競輪のレーサーだった男に教えて貰ったこともある。けど、ペダルを踏むと倒れてしまう。だいたい男はキンタマをどちらに寄せて乗ればいいんだ。俺のは竿も他の奴より巨きいんだ。剛力彩芽ちゃんがスイスイ走れるのは分かるけど、俺が上手くバランスがとれるわけがない。  
ところが先日インターネットを見ていて、凄い広告を見つけた。マックスという会社の四輪自転車“クークル”だ。俺はさっそく電話してカタログを取り寄せた。もう天下無敵だ。横須賀でも吉祥寺でもどこでも行ける。  
女房殿は「あなたは一回乗って、すぐ飽きて、もう二度と乗らないわ。お金の無駄よ」なんてウニと喋っている。  
フン、バカを言うな。俺は登り坂がキツイのも知っている。握力が衰えて急ブレーキが効かないのも、カタログを見て良く知っている。でも4輪だったら倒れることはない。  
60年来の夢だったのだ。俺は生まれて初めて秋風を頬に受けて、颯爽とサイクリングに行くのだ。
オイ、誰か文句あっか!!  


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