第209回 『偉い人は責任を取らない』


毎年この時期になると、テレビで“硫黄島の戦い”とか“原爆の記録、広島・長崎”とか“玉音放送・終戦の日”なんていう番組が流れる。  
日本人だけで三百万人以上も死んだ戦争で、日本が負けて終わった時、俺は国民学校、今で言えば小学校二年の夏休みだった。  
“敗戦”と書かずに、“日本が負けて(戦争が)終わった時”とわざわざ書いたのは、歳を取って文章が回りくどくなったからではない。教師や周囲の大人がはっきり教えないから、第二次世界大戦で日本がコテンパンに負けた事実を、知らない若い人が増えている。  
原子爆弾を落とされた広島と長崎だけではない。沖縄では四人に一人の市民が死に、東京でも昭和二十年三月十日の大空襲では十万人以上の市民が焼き殺された。これは東京を壊滅させる非人道的な無差別攻撃だった。
戦争は究極の悲惨だ。若いころを無頼に過ごした俺が言うと反発を受けるのは承知しているが、戦争は規模と装備が違うだけで、ゴロツキの喧嘩と全く同じなのだ。自由や平和を大義名分に掲げる戦争も、義理と人情を心の支えにする“マチガイ”も同じだ。  
なぜ人間は話し合って解決せず、戦争という究極の悲惨に突き進むのか。学習院大学で学んだ麻生太郎も、成蹊大学を出た安倍晋三も戦争の悲惨を知らない。  
だから愚かなことや勇ましいことばかり、この偉い人たちは言う。夜学の高校を辛うじて卒業した俺は、最高学府が与える叡智に憧れがある。学びの府を知らない劣等感と憧憬が、心の中に深く存在するんだ。しかし学習院と成蹊では、どうも現代史は教えないらしい。  
戦争に負けると、天皇陛下はすぐ人間宣言をした。国民はあっさりそれを受け入れた。 
こんなことは日本だけではない。最近も、“イラクは大量破壊兵器を隠し持っている。世界の自由と平和の為に戦おう”と誇らしげに言って、イラク軍を殺し親分のフセインを絞首台に送った。そして何年か経って「あれは間違いでした」と言った。  
ブッシュ・ジュニア大統領もチェイニー副大統領もラムズフェルド国防長官も、それにパウエルから変わったコンドリーザ・ライス国務長官も責任を取らない。責任を取るべき偉い人が、知らぬ振りを決め込むから、また戦争が起きるんだ。  
ゴロツキは坊主刈りになったり、髪だけではなく眉毛まで剃って海坊主みたいな顔になる。もっと大変な時には、野蛮だが指も詰めるし、懲役にも行く。  
日本の社会は、トカゲのシッポ切りはしても、偉い人たちは決して責任を取らない。共同責任ということにして、曖昧なまま時が過ぎるのを待つ。  
俺だって身勝手をしたり家族に迷惑をかけたりすれば謹慎させられる。指は取られないが「飲み屋禁止」になる。今がそうだ。ウニまで青い綺麗な目を白くして、俺を睨む。
敗戦を終戦と言い換えて誤魔化し、六十八年経った。原発事故も責任の所在を曖昧にして、そのまま人々の記憶が薄れるのをひたすら待っている。嫌なことには向き合わず、なかったことにするんだ。だから同じことが繰り返される。  
責任を取らせるようにすると、恐くて何も決断できない。新しいことに挑戦せず、改革も先延ばし、成長が止まって縮小し、少しずつ壊れていく。
連帯責任と言いながら責任を曖昧にして放っておくと、土台が腐ってある日突然崩れ落ちる。どちらにしても「終了」なのだ。



目次へ戻る