第200回 『春爛漫』


七十を過ぎると毎年、「今年の冬はあり得ないほどの寒さだ。俺が知る限り一番寒い冬だ」と思う。人に話すと、「そう思うのは老い耄れたせいだ」とバカにされるので、ウニを相手にネコ語でぼやいている。
北海道や東北・北陸の人たちに叱られるかも知れないが、それでも今年の冬のなんと寒かったことか。「氷河期が来たんだ!」と俺が叫んだら、ウニは「それってサカリのこと?」と、もうまるで訳の分からない返事をする。  
「今年はいつまで我慢してても、春なんて絶対に来ない。全てが凍り付く氷河期がついに来たんだ」と、俺はウニに教えてあげた。嘘は銀行と警察にしか言わない俺だから、これは本心からそう思ったんだ。  
ところが今度の氷河期は、地球規模的にはほとんど瞬間的に終わったらしい。一昨日までは震えて、冷凍庫の中のハーゲンダッツみたいになっていた俺に、春が、微笑む剛力彩芽ちゃんのように忽然と現れたんだ。壇蜜のように…と書くと、ウニが勘違いして興奮するから、ここはどうしても彩芽ちゃんでなくちゃいけない。  
お向かいの素敵なお庭にある白梅は、気が付いたらもうとっくに咲いている。俺が大好きな蕗の薹は、葉っぱになったのに決まっている。  
ほんの一週間前に、二十年も続けている連載の担当編集者に、「都内でどこかフキノトウが生える丘を御存知ありませんか?」とメールして、肝腎の原稿を添付するのを忘れた。女房殿もウニも俺のマダラボケはかなり進行していると思っている。そんなこと訊かなくても顔と素振りで分かるのだ。  

東京は本当に、あっという間に春がやって来た。最近少し暖かくなってきたなと思ったら、もう桜が満開だというんだ。  
「週末は大変な人出になるから。今日桜を見に行きましょう」と女房殿が言う。町内の居酒屋にも行かない俺に、片道三千歩もある善福寺川緑地公園まで、桜を餌に散歩させようという魂胆だ。  
花見と酒は、俺と芸者みたいに付き物だが、下戸の女房殿はそんなことは考えない。それでも達磨みたいな亭主を、心配して言ってくれるのだから俺はジーパンにベルトをキリリと締めて、トコトコ付いて行く。  
「胸を張って大股に、もっと威勢良く歩きなさい」と女房殿が叱咤したのは、余程俺がトボトボと爺むさい歩き方をしていたからだろう。俺は背筋を伸して偉そうに歩く。  
緑地公園の桜は八分咲きで美しかった。年寄りがシートに坐ってお花見をしているが、酒の瓶もカートンも見えない。この頃は瓶じゃなくて箱入りの日本酒も多いんだ。だからどちらにも目を配らなくては、下戸だと決めつけるわけには行かない。俺は被告より判事の方が向いていたと、こんな時につくづく思う。  
金曜日の昼間だから若い人は少ない。女房殿の目を盗んでチラ見するのだが、剛力彩芽ちゃんも滝川クリステルちゃんも、ほんのちょっと似たのだっていない。  
爺婆6割、小さな子供を連れた若いお母さん2割、あとは犬の散歩組だ。ほとんど誰も酒を呑んでいない。なんという健全さだと、俺は呆れた。 
住んでみて初めて分かることだが、杉並区にはいい女は少ない。自転車に乗った女の人は、高田の馬場に駆け付ける荒木又右衛門みたいに、微笑む用意がまるでない必死の形相で走り回る。そしてウチの近所にある女学校はオカメばかりだ。  
しかもこの女学校は、春が過ぎて夏になっても、長袖のセーターを着ている。校則だからか知らないが、なんでそんなヘンな格好をしているんだ?見ているこっちのほうがムレそうになる。  

余談はさておき善福寺川緑地公園の桜は、眩しいほど美しく咲いていた。放射能まみれになっても、桜は咲いてくれるんだ。  
権力の狗に成り下がったマスコミは、原発のことは何も報じないで、野球だサッカーだ、アベノミクスだと囃し立てているが、東京が放射能まみれになっていることは伝えない。俺の一家はウニまで知っているのに。


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