第192回 『映画三昧』


あまり付き合いのない人から「あなたの好きなことはなんですか?」と訊かれたら、俺は知らん顔して“モミジの十点札”を決めるかも知れないが、それが滝川クリステルみたいな綺麗な人だったら、「私の好きなことは、旨い肴で純米酒をぬる燗で呑むことと、面白い本を読むこと、それに上質な映画を見ることです。ハイ」なんて一所懸命答えるに違いない。
“モミジの十点札”を決める…というのは、シカトする、無視するということだ。今はシカトと言うが、正しくはシカトウ(鹿十)で、花札のモミジの十点札には鹿が横を向いている絵が描かれている。御意見無用とそっぽを向いているようで、これが無視することに繋がって、“シカトする”という言葉に発展した。今では女学生でも使うだろう。
昔は「鹿十団」という名前の愚連隊だってあったのだ。
花札をやる人もほとんどいなくなった。今の若い人たちは、花札を見たこともないんじゃないだろうか。  
あっ、そんな話をするつもりじゃなかった。俺は映画を見るのが好きだ。秘かに俺は、映画と小説それに女は同じだと思っている。どれも見たり読んだり抱いたりすると、結構なものには涙を流して感動するが、詰まらないものだと「ああ、大事な時間を損した」なんて思う。たいていは「まあまあだな…」とか「それなりに楽しめたよ」くらいの感想で星二つというのがせいぜいだ。  
しかし今週はとてもツイていて、いい映画を続けて三本見た。こんなことは滅多にないから、機嫌が良くて俺はニコニコしている。  
歳を取るとオキイシみたいな詰まらない猿の干物ヅラでは、周囲の人たちに迷惑だ。「週刊新潮」は、「こんな汚い奴をテレビに映すな」とこの爺サンのことを書いていた。俺も両手を高く挙げてグリコのポーズをとる。大賛成だ。  

最初に見たのは『アーティスト』だ。俺はやたらとCGを使う最近の映画に辟易している。そう思っているのは俺だけではなかったようで、この映画はアカデミー賞の作品賞を獲った。
ストーリーは定番だが、俳優が素晴らしい。主演のジャン・デュジャルダンも良かったが、相手役のベレニス・ベジョはとてもキュートで俺好みの女だった。最近のフランスの映画俳優なんて全く知らなかったが、こんなレベルの高い俳優がいるんだなあと感心した。  
しかしこの二人を凌ぐ名演技を見せるのが、犬のアギーだ。こんな賢くて可愛い奴は初めて見た。アギーのシーンで不覚にも涙がこぼれる。是非うちに引き取ってウニの友達にしてやりたい。  
この映画は余韻があっていい。サイレントだからこそ想像力が刺激される。若い人には退屈かも知れないが、爺いには堪らない映画だった。  
『ヒューゴの不思議な発明』は、邦題がダメだ。俺だったら『駅に住んでるヒューゴ』にする。不思議も発明も要らない。しかし邦題は難しい。最悪だったのは古い映画だが、少年だった俺が好きで好きで堪らなかったセシル・オーブリーが出ていた『情婦マノン』だ。  
駅の構内でおもちゃを売っているベン・キングズレーが、雰囲気に合ったいい味を出している。流石にサー・キングズレーだ。最近ハズレ感が多かったスコセッシだが、今回の作品は楽しめた。  
最後に見た『おとなのけんか』は、二組の夫婦が一室で演じる舞台劇で、これは俳優と監督、それに脚本家に全てが懸かっている。俳優は四人とも凄いが、驚いたのはケイト・ウィンスレットだ。この肩の張ったズンドー女は、最初に『タイタニック』で見た時、ディカプリオが可哀相で堪らなかった。しかし俳優は姿かたちだけではない。  
ケイト・ウィンスレットは典型的なイギリス農婦型の田舎臭い女だが、芝居は上手い。今から思うと『タイタニック』のキャスティングも、ズバリだったのではないかと改めて思ったりもする。  
映画で大切なのは、脚本と監督、それに俳優だと思っていたが、端役に至るまで全ての配役を担うキャスティング・ディレクターもとても重要だとつくづく思う。『ゴッド・ファーザーV』はT・Uに較べて落ちるが、コッポラの娘ソフィアが映画を台無しにしたと俺は思っている。  
さ、これを書き了えたら、ブリの照り焼きでコップ酒を楽しくやろう。  


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