第190回 『海を見に、またまた南の島へ…』


片道7時間かかるというので、俺は伊藤計劃の『虐殺器官』とアリステア・マクリーンの『女王陛下のユリシーズ号』の文庫を持って飛行機に乗った。  
長いフライトを退屈せずあっという間に過ごすには、面白い本を読み耽るのが一番だと、今から十年も前に俺は気が付いている。これは俺が、その頃いよいよ老い耄れたという悲しい事実も顕わしている。もうスチュワデスをマジマジと見詰めたり、タダだからといって目的地に着陸しても、席から立ち上がれないほど酔っ払うこともない。
誰も褒めちゃくれないけど、俺は“いい歳をとった”と秘かに思っている。  
エールフランスでもアリタリアでも、俺の好きなドライマテニは瓶詰のレディーミックスだから、フレンチベルモットが多過ぎてジェームス・ボンドや俺には向かない。  
自宅では350ミリリットル116円の“麦とホップ”を呑んでいる俺だが、飛行機に乗って外国へ行くとなると、その途端に呑む酒が昔に戻る。仕事ではなく遊びの旅行なんだから、飯も酒も吟味した物でなければ、俺は良くても同行の女房殿が許さない。  
なぜ八分通り隠居した四流小説家の爺ぃが、この御時世に贅沢なお遊び旅行が出来るのか? 競馬の必勝法を編み出したわけでも、サマージャンボが当たったからでも、大金持ちの後家さんを籠絡したのでもない。  
窓際の隣の席で他人様の小説を熱心に読んでいる女房殿が、見事に俺の収入を管理して大借金を返し、パチンコもせず、ホストクラブでシャンパンも抜かなかったから、今ゆったりしたシートで長旅が出来る。  
「バリ島に行ってみない?」と女房殿が訊いてくれたのは、真夏の真っ盛りの頃だった。  
もともと俺は、ウツボやシャチと同じ水棲動物だから、うまくヒトに化けていても時々は海を見なければ生きていけない。今住んでいる杉並の家は一番高い三階の窓を開けても、海はおろか川も沼も見えない。関係ないが、盛り場のネオンサインも見えない。  
水が少なくなって、苦しくて口をパクパクさせている魚のような俺を見て、女房殿はインターネットで良さそうな海辺のリゾートを探して、俺に提案してくれたのだ。  
若い頃うんざりするほどジャカルタに行ったが、バリ島には行ったことがない。「ウン。海が見えるところなら喜んで行く」と俺が叫ぶと、女房殿はシーズンオフのツアーを選んで、ウニはグリム動物病院に預けて、この旅行が始まったんだ。  
ガルーダのバリ直行便は、成田だけではなく羽田からも飛んでいる。  
昔は野生の大麻がボウボウ生えていた辺鄙なところに飛行場なんか造った奴は、自民党のバカに決まっている。余談だが、同じ千葉の海浜幕張にあるロッテのホームグラウンドも、野球場ではなく子供が凧揚げをするところだ。風力発電には絶好な場所だから、ロッテは野球場に屋根を張って風車を立てれば、雨でも平チャラだし、ナイターの電気代を憎らしい東電に払わずに済む。どうだ。凄い知恵だろう。  

今から五十年ほど前に、ガルーダ・インドネシア航空の最初の便が羽田へ飛んで来たのを、俺はとても懐かしく想い出す。その頃、俺はJALのパーサーだった。  
整備を依頼されたJAMCOのオッサンは、「ガルーダのトイレには蛇が一匹、尻尾をクリップで挟んで吊してあるかも知れない」と言って、みんなを驚かせた。  
戦争中ジャカルタで日本陸軍伍長だったオッサンは、「あの辺ではチリ紙なんか遣わない。蛇の頭と尻尾を掴んでケツの穴をしごき、蛇のウロコの間に擂り込ますんだ。何百回でも遣えるし、蛇は元気で艶々しているぞ」。  
飛んで来たガルーダの一番機は双発のターボプロップで、物見高い俺はオッサンと一緒にすぐ機内を点検したのだが、トイレには普通のペーパーロールが据えてあって、蛇なんかもちろんいなかった。しかし昭和37年なんて、まだそんな時代だった。  

さすがに十月に入ったら台風は来ないだろうと思って日程を決めたのに、まるで狙い澄ましたように、関東を大型台風が直撃した。交通機関は次々と止まり、NHKのアナウンサーは「用のない人はなるべく家から出ないように…」なんて言っている。出発時間の夜中の1時は、瞬間風速も20〜30メートルと予測され、これではいくら何でも離陸できない。  
さあどうするべいか…と思っていたら、旅行会社のお嬢さんが日中電話をくれて、「出発が8時間遅れるので、朝5時30分に羽田に行って下さい」という。  

そんなこんなで片道7時間の機中の人となったのだ。
この話は次回も続く。   


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