第187回 『オッソブッコ』


後期高齢者で半隠居の俺は、二週間ほど前から突然右のアキレス腱が痛み出して、にわかチンバになった。チンバとかビッコという日本語は差別用語として活字でもテレビでも使えなくなったが、言葉が使えなくなっても厳然として存在する。今の俺は、右足を引きずりながら左脚だけを頼りに歩いている。
こんなこと歳を取ればよくあることで、高倉健でも三國連太郎でも、なればなると分かってはいても、いざ自分がそうなると不自由で胸が萎み背は曲がり、心が重くなって溜息を漏らす。  
“五十年前は小栗旬にクリソで、最近は『もしやオトシダネ?』と、しょっちゅう訊かれる”なんていう法螺はもう言えなくなった。  そんな俺でも時々だが祝い事はある。

二人と一匹の一家の中で絶対専制君主の女房殿はこの猛暑の中、そうめんを啜りウニを叱咤激励して、ますますお健やかだ。  
一家のうちで二番目に偉いウニは六歳で、女房殿が唯一金を払って読んでいる月刊誌「ねこのきもち」によると、推定年齢は人間換算で四十二〜四歳だという。  
ウニはキンタマを取ってしまったけど、5.8キロで尻尾の長さが34センチもあるオスだ。人並みに助平な俺は、ウニの虚勢手術をするのに心を傷めたのだが、表に出さず家の中で飼うと決めた以上、サカリになるとどうしようもないと、多年の経験で分かっていた。  
手術の時は生後六ヶ月だったので、気の毒なウニは自分では何も分からないうちに運命を受け入れたのだ。  
好きなだけ食べさせてブクブク肥って寿命が短くなるといけないので、ウニは6キロを越えないように女房殿が気を付けているが、他の全てを許されている。三階建ての我が家を上から下、下から上へと走り回り、その途中で何かを倒したり、噛み付いて歯型をつけても女房殿は怒りもしない。 二の腕と掌をしっかり前足で抱え込んで、俺を思い切り後ろ足で蹴飛ばしても、女房殿には、哀れな俺の悲鳴は聞こえないらしい。七十五歳で俺は、一家の一番裾という位置にランクされてしまったのだ。  
ウチの一家は杉並区で、おそらく一番穏やかに、つつがなく毎日を過ごしている。最大の事件が先月女房殿が、3800円の老眼鏡を中華料理屋からウチまでの800メートルほどの道中で、無くしてしまったことぐらいだ。置き忘れたのでも掏られたのでもなく、単純に落としたのだと本人は言っている。  
ウニは、「ママのバッグは、眼鏡を入れる所にチャックが付いていないからいけないんだ。ナオ探しておいで」なんて生意気なことを言う。女房殿はネコ語が分からないから、バッグを掻き回すだけだ。  

そんな一家でも人並みに、祝い事は突発する。  
ウニはお留守番で俺たちは、同級生のクリちゃんが社長をしていたハイアット・リージェンシーに出掛けた。夫婦二人だけでお祝いをするのだ。一番偉い人が下戸だからシャンペンなんか要らない。  
ホテルの玄関を入った時、俺は「メインバーはどこかな?飯の前にドライマテニを呑みたいな」と言ったのに、「酔っ払って転んだらどうやって起こすのよ。今は足が悪いんだからお止めなさい」と、一言の下に却下されてしまった。俺の一家は一番裾の俺の我慢と忍耐で存続している。  
「やぁ良かったね」と、俺が生ビールのやや大きいグラスを挙げて品良く囁いたら、女房殿も普段は滅多に見せない笑顔で頷いた。  
アペタイザーに女房殿の大好きなフォアグラを頼んで、俺は生ビールを呑み続ける。ジョッキではなくグラスのホテルの生ビールは、どこでも街場の中ジョッキより容量が少ない。俺は呑んべだから、立方体の体積には神経質なのだ。普通はケチと言うのかも知れない。このホテルのグラスは400CC近くあって、俺の知る限りどのホテルより大きい。  
俺はアントレに好物のオッソブッコ(背骨を輪切りにした牛の煮込み)を食べ、付け合わせのサフランライスも一粒残らず全部食べて、最後にコーヒーとチョコレートサンデーを頼んだ。  
法事や掛け合いゴトじゃない。今日は一家の祝いゴトなんだ。デザートまでちゃんと端折らずに食べるのが、祝いゴトの決まりだ。  

タクシーの中で、ディジェスティブをどこか河岸を変えてやろうと提案した俺を、「ウニが待っているわよ」といつもの返事で女房殿は相手にしない。  
祝いゴトは終わって、また明日から俺の我慢と忍耐の日々が続く。


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