第186回 『ロンドン・オリンピック』


ロンドン・オリンピックが始まった。俺は懐かしくて、夜中の二時、三時まで口を開けてテレビを見ている。“口を開けて”と書いたのは、感動したり感心してということではなく、何となくボーッと見ているということだ。  
しかし試合会場の地名をアナウンサーが言うたびに、俺のボケた脳味噌は過剰に反応する。メイン会場となっている辺りは、俺のいた頃は移民が多くて、安い街娼が群れるスラムだった。あんなお姐さんたちも、みんな俺より年上だったから、生きていたらシワシワヨボヨボなんだろうな。そんな中に嘘かマコトか、俺よりひとつ年下のジーンがいたのを思い出す。
ジーンはアイリッシュだったから、金曜日にはフィッシュ&チップスばかり食べていた。同じキリスト教徒でも、カソリックは金曜日には肉を食べず魚ばかり食べる。  
ここまで書いていて思ったのだが、カソリックの親玉のローマ教皇は原子力発電に賛成しているのか?核廃棄物の処理には、どんな意見を持っているのか?  
柔道があんまり詰まらないので、テレビのオリンピック中継を見ながら、俺はイーストエンドのジーンと宗教と原発のことばかり考える。  
胸が薄いジーンは、「パンツを穿く暇がないのよ。アタシ忙しくて…」と豪語する売れっ子だった。赤い髪と幸せが薄そうな尖った顔が、とても刺激的で綺麗だった。  
1953年当時のロンドンの街娼の値段を書いておこう。どうせもうモテないし選挙に出ることもないから、女の方が顔を顰めても俺は平気だ。
日本では“チョンの間”と言うクイッキーが10シリング、“時間”は1ポンドだったが、売れっ子のジーンは強気だった。クイッキーで1ポンド、ダブルヘッダーが出来る“時間”が2ポンドだったのを覚えている。ソーホーやボンドストリートはイーストエンドに較べて高かった。  
サッカー会場のコベントリーは、ロンドンからちょっと離れたところにある街で、自動車の部品工場がいくつもあった。  
「ロータス7」が載せていたエンジンが、コベントリークライマックスだった。1954年にアメリカのスケーター、ソニア・ヘニーのショーを、ロイヤルアルバートホールへ見に行ったら、ロビーに「ロータス7」が置いてあって、パンフレットを手渡されたのだが、17歳の俺にはとても買えるような車ではなかった。  
NHKのアナウンサーが何度も“ストラッドフォード”と言うのは、シェイクスピアの出生地“ストラッドフォード・アポン・エイヴォン”のことだと思う。“ストラッドフォード・オン・エイヴォン”とも聞いた記憶がある。  
“オン・アボン”か“アポン・アボン”が正しいのかも知れない。俺の英語は情けないことに、英語圏のありとあらゆる訛りが混然と混じり合っている。  

読者には全く面白くないだろう、俺の古い記憶を長々と書いた。なぜか?柔道のルールと審判の所為だ。  
俺はロンドンのキングスクロスにあった小泉道場で、日本から指導者として来ていらした川村六段に教えていただいた柔道家の端くれだ。あんな柔道着をはだけたまま力任せに揉み合うのは、俺が教わった柔道じゃない。お互いの襟と袖を掴んで、投げるか押さえ込むのが柔道だ。  
それに技ありと有効の区別も、見ている素人には分からない。それなら審判に絶対の権限を与えなければいけないのに、ジュリーなんて爺サマがクチャクチャ言うと、三人の審判が揃って旗の色を変えたのが、俺には情けなくて仕方がない。  
ルールを確立し主審に権威を持たせなければ、選手たちは、判決公判の法廷で判決に怯える被告と同じになる。柔道ってそんなモンじゃないだろう。今のままのルールでやるのなら、時間無制限でどちらか一本獲るまでやれ!  
ルール改正して、より面白くフェァになるのなら分かるが、これじゃ全く逆だ。ファンも離れていくし、オリンピックで初めて柔道に接する人たちは「何なんだ、コレ??」と思ったまま、二度と興味を持たなくなる。


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