第185回 『67年戦争をしなかった日本』


毎年夏休みになると、日本が戦争に負けた昭和20年を思い出す。楽しく思い出すのではない。小学校2年の夏休みだったが、いい思い出なんかあるもんか。
戦争は極限の悲惨だ。1914〜1918年の第一次世界大戦で、毒ガス・戦車・潜水艦・飛行機などの大量破壊殺人兵器が戦場に現れ、それまでと様相が一変した。  
俺たちが非道い目に遭った第二次世界大戦では、遂にアメリカが原子爆弾を創って、広島と長崎を破壊した。この残虐行為が、極東軍事裁判で訴因になった“人道に反する行為”に、なぜ当たらなかったのか俺には分からない。  
沖縄での日本軍の苛烈な抵抗を見て、九州から上陸し東京を占領するには、米軍の損失が多過ぎると、トルーマン大統領が判断した結果だと聞いたことがある。NHKや朝日新聞が「一機一艦」とか「鬼畜米英」と特攻攻撃を煽り立てたことが、原子爆弾による市民の大虐殺に繋がっているのなら、日本のマスコミも裁かれるべきだったと思う。  
毎年このころになると、テレビでは第二次世界大戦の記録映像を映す。戦場に横たわる兵士、崖から海に身を投げる女の人、空を覆うB-29と司令官だったルメイという将官。  
そしてアメリカ軍の艦艇に体当たりする、翼端に日の丸のついた特攻機。苦しくて見ていられない。溢れた涙がポロポロ落ちる。それでも俺は見続ける。この哀しさを若い人たちに伝える義務が、俺たちの世代にはあると思うからだ。  
今の平和で豊かな日本に生まれ育った人たちには、戦争が究極の悲惨、非人道の極みだということが分かっていない。  

1945年5月の空襲で五反田の家は燃えてしまった。父は軍属で昭南と言ったシンガポールに行ったままで、次姉は結核で臥せっていた。疎開した母方の熱海の家は、温泉は戦争とは関係なく溢れるほど出ていたが、お湯は腹の足しにはならない。  
アルコール原料の“農林1号”や“茨城3号”という不味いサツマイモばかり食べて、俺はオナラを連発していた。東条元帥も大元帥陛下もきっと銀シャリを食べていたのだろうと、喰いしんぼの俺は昭和20年の夏を思い出すたびに顔が歪む。  
俺は戦争の指導者がみんな大嫌いだ。日本人だけではない。ヒットラーもムッソリーニも、それにトルーマン・アメリカ大統領も戦争の指導者はみんな嫌いだ。  
俺の祖父は日露戦争で手柄を立てた。父は第二次世界大戦を命懸けで凌いだ。日本は敗戦で懲りたせいか、それからずっと戦争をしないが、アメリカは違う。  
原子爆弾を使って第二次世界大戦で勝利すると、すぐ朝鮮戦争に介入し、泥沼のベトナムでは負け、懲りずにアフガニスタンとイラクで戦争を続けた。  
人間は大義名分とスローガンさえあれば、いつでも戦争をおっぱじめるのだから、ライオンやヒグマより危険で、ガラガラ蛇や鰐より始末に悪い生き物なのだ。  
イスラム教徒をやっつけたいキリスト教徒の宗教戦争であり、ゼニカネの為の利権戦争なのに、いつもアメリカの旗印は自由と民主主義だ。イスラム教でもユダヤ教やキリスト教でも信じている人たちに、俺は教えてあげる。貴方たちの信じている神様は決して慈悲深い方ではない。無慈悲で残酷で、涙もなければ情もない怖ろしい存在なのだ。そうでなければ人間を、こんな非道い目に遭わせる道理がない。  

有史以来殺し合いを続けて来た人間だが、21世紀になって人間同士の闘いから、放射能が相手の、これも過酷な闘いになった。野田や枝野だけではなく官僚も財界人も、原発を再起動するのに躍起になっている。  
野田が、取れもしない原発事故が起きたときの責任を、「私が責任を取る」とヌケヌケと言うのを聞いて背筋が寒くなる。俺は嘘つきだったが、こういう嘘はつかなかった。そのくらいの知性はあったし、身の程をわきまえていた。  
日本人が怒らないのは穏やかで優しいこともあるが、鈍感で無責任なのではないか。野田が言った「私が責任を取る」という大嘘に、もっと日本人は怒っていい。大人の無責任はすぐ子供に伝染して、もっと手に負えない日本になっていく。


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