第184回 『向こうブチに憧れて…』


小学校で熱中した物と言えば、ベーゴマとメンコ、それに“釘刺し”とトランプを使う“銀行屋”だ。ベーゴマは縁を壁でこすると強くなると聞いてやってみたのだが、あまり効果はなかった。  
俺は幼い頃から他人の言うことを鵜呑みにするところがあった。日本人の一般的な傾向だ。ベーゴマの縁をどのくらいの角度まで削るといいのかという一番大事な事をちゃんと訊かず、ましてや自分でいろいろ検証することもしない。  
ただ学校の行き帰りに、長いお屋敷の塀に自分のベーゴマを擦り続けていたのだ。塀に傷を付けられたお屋敷の方に、この場を借りて遅まきながらお詫びを申し上げる。バカなガキンチョのしたことですから、どうぞ許してください。  

メンコと“銀行屋”に付いては、別の機会に譲って、“釘刺し”について書こう。この遊びのお陰で右のリストが鍛えられ、大人になってから喧嘩やボクシングに役だった。  
焼けて錆びた五寸釘を焼け跡から探して来て(この頃、東京は焼け跡とバラックだらけだった)、ジャンケンで負けた子が右手の拳に根元の方を握り込み、尖った先を上の方に向けて振りかぶって地面に叩きつける。  
硬い赤土でも力まかせに打ち込んだ釘の先は、六分か七分しっかり刺さる。次の子が同じように自分の釘を渾身の力で投げ、前の子の釘を弾き飛ばせば勝ちで、五寸釘はその子のものになる。  
俺の幼い頃、日本は貧乏な敗戦国だった。食べるものも着るものもない。焼けて錆びた五寸釘が子供たちの宝物だったなんて、今どきの子供が聞いたら冗談としか思えないだろう。だいたいもう、道端にそんなもの落ちていない。  
なにしろ二年生の夏休みまでは天皇陛下が神様で、「戦争に行って喜んで死ね」と教師も新聞もNHKも煽り立てていたんだ。今ではナベツネがふんぞり返って威張り腐っている読売新聞は、当時は赤新聞(左翼という意味ではなく、やたら赤インクで見出しを書く、カタギは読まない新聞という意味)と言われて馬鹿にされていた。  

そうしているうちに、アメリカをやっつける筈の神風は日本の為には吹かず、逆にB-29の追い風になって広島と長崎に原子爆弾が落とされた。味方も敵も、とばっちりを喰った大勢の無辜の人たちも死んで、日本が負けて戦争が終わる。  
民主主義・ジャズ・野球、チューインガムにチョコレート。敗戦後どっと入って来た新しいものに、ダブダブの兄のお下がりを着て空きっ腹を抱えていた俺は、大袈裟ではなく目が眩んだ。  
それまで軍歌とNHKの詰まらないラジオ歌謡、それに“釘刺し”と“泥棒・巡査”ぐらいしか知らなかった、今で言えば北朝鮮みたいな日本で生き延びて来た俺たちだから、突然目の前が開けて別世界が広がったようなものだった。  
小学校から中学二年まで、俺は野球に夢中になる。別府星野組の荒巻のドロップ、川上哲治の赤バット。俺がもし百メートルを12秒台で走れたらプロ野球に入っていた。  
陸上競技部に行って先輩たちに、「どうしたら12秒台で走れるようになりますか?」と訊いて、俺は教えて貰った通り頑張ったのだが、どうしても13秒を切ることは出来なかった。  

ベーゴマ以来、俺はバクチが好きだ。中学二年生の時、安藤昇の舎弟だった男に盃を貰って、バクチ打ちになる。と、言うより正確に言えば見習か研修生みたいなモンになった。  
カタギには違いが分かりにくいだろうが、バクチ打ちには実は二通りある。「テラ取り」と「向こうブチ」だ。座敷を用意して盆ゴザを敷き、出方や下足番といった若い衆を揃え、旦那衆や同業のバクチ打ちに遊んで貰うのが「テラ取り」だ。  
客になって勝負するのを「向こうブチ」という。俺がなりたかったのは「向こうブチ」で、盆の主催者である「テラ取り」ではない。  
映画でも芝居でも颯爽としているのはいつも「向こうブチ」で、「テラ取り」はたいてい憎たらしい仇役だ。  
俺の兄貴分は名前の通った「テラ取り」だった。盆に来た客に粗相がないよう気を配り、バクチをして納得してテラ銭を落として貰う。バクチ打ちが言う“盆の垢を舐めて飯を喰う”修行を、俺は否応なくさせられ仕込まれた。  
これは眼光鋭い一匹狼になりたくて、間違って柔和なラブラドールレトリバーの一家にゲソを付けたみたいなドジだ。よせばいいのに大臣になりたくて、小沢派に入ったヤワラみたいなことだと言えば、みんな分かってくれる。  
俺が渡世の足を洗ってカタギの裾に加えて貰ったのは1981年だ。30年盆の垢を舐め続けたんだから、我ながら呆れるしかない。  
博才が自分に備わっていないことは、10年もしないうちに身に染みて分かったのに、よく30年もバクチ打ちを続けられたと思う。  
この歳になって思い出すと、俺は野球ものめり込んだし、ラグビーもボクシングもやった。一番最近ではゴルフだって夢中になって一日2ラウンドもやった。しかし残念なことに、いずれも上手くならなかったし、「名人よ上手よ」と言われたこともない。上手くならなければ、いくら一時夢中になっても自然と足が遠のく。女だって同じだ。安藤美姫が世界一だ、滝川クリステルが日本一だと叫んでいても、いつか自然に叫ばなくなる。  
結局、最初の10年は無我夢中、あとの20年は惰性でバクチ打ちをやっていたのだろう。抜け出す切っかけもないし、断ち切る勇気もない。それが44才までの俺だった。


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