第180回 『連休直前の八ヶ岳』


5月10日にウニは6歳に、そして俺も間もなく後期高齢者になる。後期とか末期なんて漢語を使って、勝手に線引きして一括りにされるのは愉快ではない。うわベを取り繕うのは日本人の手口だが、まあ確かに俺はタダの老い耄れになった。  
もう赤いエクストレイルを運転しないし、八ヶ岳の山小屋に着いても、荷物や食料やウニのケージを階段を上がって玄関まで運べない。全部女房殿がやる。俺は手摺りを掴んで92キロの身体を一歩ずつ引きずり揚げるのだ。
こんな姿は他人に見られたくないと思う筈なのに、駐車場から玄関まで無事に辿り着くのに一所懸命で、そんなことを考える余裕がない。  
考える心のゆとりがなくなった老い耄れは、選挙権を辞退すべきだと思う。俺みたいな年寄りが暇に任せて投票所に行くから、女柔道家やオバカテレビに出る変な奴が国会議員におさまり、お笑い芸人が知事になったりする。  
俺は食欲と好奇心だけ残って、他は全て鈍化ではなく消滅した。今は腹を立てることもほとんどない。骨だって反骨なんてものはもうカケラもない。まるでクラゲかナマコみたいな年寄りだ。  
義理もなければ見栄も気取りもない。そう言いえば確か20年前に、「見栄も気取りもなけりゃ、そんなモンは、煙草を喫んで酒を呑み、正常位で子供を作る珍しい豚だ」と言った作家がいた。(…あ、俺だった)  

標高約1300メートルの所に建っている俺の山小屋の桜は、日本で一番遅く満開になる桜だから、4月の末だと蕾は小さくて固い。13年前に完成した山小屋は、徹底した二人仕様になっている。ベッドも二つ、茶碗もコップも二つだけだ。  
今年の冬が例年になく寒かったこともあって、半年振りの八ヶ岳だから、ウニはダイダイ色の鼻を擦り付けてアチコチ匂いを嗅ぎ回る。  
俺は海志向の男だったから、山とか高原にはあまり縁がなかった。15年前に土地を衝動買いして山小屋を建てたいきさつは雑誌で連載し、その後「八ヶ岳あかげら日誌」という単行本になって資金の足しになった。気のある方はどうぞ古本屋で見付けてくれ。  
4分の3世紀にも渉る人生で、山や高原へ行った記憶は、長野県の菅平くらいだ。「手配写真」の第46回に当時の事情はザッとだが書いてある。今から52年も前のことだ。  
その当時、菅平に行く山道は片側が崖に面した未舗装道路で、道幅は2メートル弱、ガードレールもなかった。俺は前進3速のルノー4CVでノロノロ昇って行く。もっと威勢良く走れと言われても、そんなことは無理だ。その頃のルノーは確か21馬力だった。  
上から海老茶のモーリスオックスフォードが、ソロソロ降りて来る。俺はその頃から英国車には詳しい。海老茶というのは黒みを帯びた赤茶色と、岩波国語辞典に書いてある。  
頼りないフットワークで山道を降りて来たモーリスは、道の左端で待っていた俺のルノーの鼻先で止まって、運転していたオバさんが手を合わせている。  
「菅平で女が待っているんだ。拝まれたってダメだ。左側通行だぞ」と、怒鳴りたい所を俺は懸命に堪えた。オバさんは「怖くてダメです。お願いです。あなたが崖側を通ってください」と、必死の形相で言う。  
滅多に車が通らない山道だが、このオバさんは昇ってくる車と擦れ違うたびにこの流儀で降りて来たのかと、俺は呆れ果てる。しかしちょっと小綺麗なオバさんだったこともあって、俺は仕方なく崖側をズリズリザザザと擦り抜けた。  
オバさんは今度は大声で叫んだ。「もう一つお願いがあるんです。この車、どこを捻ったらヘッドライトが点くんでしょう。主人の車なので分からないんです。御存知だったら教えてください」。  
その頃のモーリス・オックスフォードは、イグニションの座金を捻るとヘッドライトが点くと知っていたから、俺はわざわざ車から降りて親切に教えてあげた。昭和30年代、人けのない山道で外車のスイッチを知っている男に会うなんて、「盲亀の浮木、優曇華(うどんげ)の花」というくらい珍しい筈だ。  
俺の永い人生は、そういう信じられないことばかり、いつも起こり続けた。52年前のこんな場面が、遠い昔のようにも感じるし、つい昨日のことのようにも想う。


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