第178回 『バンザイが出来る僕』


温泉に行って大浴場に入れるのも、ゴルフの後でみんなでお風呂に浸かれるのも、僕の身体には彫り物がないからです。  
気取って言うのが“彫り物”で、平たく言えば“刺青”(いれずみ)です。  
僕はヤクルトがジャイアンツをやっつけると、居酒屋でも野球場でも構わず両手を開いて上に突き上げ、バンザイをします。僕は小学生の頃から、嬉しい時にバンザイをする癖があるんです。指が欠けている男は、僕のように無邪気にバンザイは出来ません。  
なぜ僕は若い頃、三十年もゴロツキをやっていながら、彫り物がなく指も十本全部付いているのでしょう。  
今回の“あんぽんたんな日々”は、恥を忍んでこの話を書きます。  

僕は編集者の勧めるまま、自分がゴロツキの前科モンだったことを書いて、まんまと世に出ました。“編集者の勧めるまま”なんて今書きましたが、こういうのが僕の得意なウソで、本当は自分の特異な経歴を自ら売り込んで作家になりおおせたのです。  
そんな厚かましい僕ですから自分のことをホームページに書くのに、今さら恥ずかしそうにするのは空々しいことでしょう。還暦までの僕の人生は、思い出したくもないほど恥ずかしいことばかりなのです。  
本当に嫌な話は端折って書いたり、厚いオブラートに包んで、今まで喰って来ました。でも開き直るわけではありませんが、作家に限らず政治家でも実業家でも芸術家でも、最近流行っている普通の人の自費出版の自分史でも、程度の差こそあれ似たようなものです。  
今から書く“三十年ゴロツキをやって、彫り物もなく指も全部揃っているわけ”でも、それにまつわる思い出したくもないことは、多分書かないでしょう。良くも悪くもそれが僕の流儀なのです。  

僕は昭和二十九年に阿部錦吾の“舎弟”、安藤昇の“若い衆”になりました。そして昭和四十四年に二率(にびき)会小金井一家に移り、新宿東の“貸元”だった矢島武信の舎弟になります。  
ですから僕が仕えた親分は、安藤昇と小金井一家総長だった堀尾昌志、それに兄貴だった矢島武信の三人です。  
飯や蕎麦ではなく、“カタギ”を喰って生きているのがヤクザですから、アムールトラやライオンと一緒で、いわゆる善い人なんかいるわけがありません。でもこの三人の親分は、やはり僕にとって恩人でした。  
この人たちのお陰で、後期高齢者寸前まで十本の指でゴルフクラブを握り、風呂場で友達にスコアを訊かれて、「ウン。今日はテンオーバー」なんて言えるのです。  
テンオーバーなら82で回ったと思うのは、聞いた人の勝手な思い込みで、僕のパーはハーフ45の90と自分で決めていました。  
倶梨伽羅紋々(くりからもんもん)がないから、日本航空にも潜り込めたし、「塀の中の懲りない面々」も、文藝春秋から出すことが出来ました。

実は十七歳の時、渋谷の布団屋の旦那が費用の十万円を出してくれて彫り物を入れようという話になりました。図柄も“花吹雪の面散らし(桜の花吹雪に能面を五つ)”に決まっていたのですが、たまたま知人の中央大学の羽鳥英一さんに目黒駅でばったり会って、一週間で返すからと一万円、彫り物代の中から貸してしまったのです。  
羽鳥さんはチョビチョビと金を返したので、チンピラの僕はつい残りの金を遣い込んでしまいます。彫り師とは全額前払いという約束ですから、これでは“花吹雪の面散らし”は何時まで経っても入りません。  
それに親分の安藤昇は彫り物が嫌いでした。ですから古い子分で倶梨伽羅紋々は一人もいません。  
布団屋の旦那には不義理をしましたが、今年八十四歳になる羽鳥さんとは、いまでも時々居酒屋で一杯やります。  

僕の仲間だったシラハタが金のトラブルで指を詰めた時、その当時親分だった堀尾昌志が夜中に電話して来て、「お前からみんなに言っておけ。ヤクザには自分の不始末で詰める指は一節もないんだ。親分や兄貴分それに兄弟分の為に、『これで収めておくんなさい』と詰めるのがヤクザの指だ」と、凄い剣幕で僕に怒鳴りました。  
借りた金が返せずに追い込まれたら、「元手がなければ返せない。もっと貸せ」と開き直り、寝ていた女の亭主や旦那が部屋に踏み込んだ場面では、「あッ。ワナに嵌めやがったな、コノヤロウ」とスゴむのがヤクザで、自分の為に詰める指なんか一節もないと、凄い理屈を堀尾昌志は僕に説いたのです。  
僕の指が十本揃っているのは、そんなワケで僕の兄弟分と兄貴や親分が、行儀のいい人だったということなのです。  



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