第177回 『春が来た』


春が来た。桜の蕾が膨らんでいる。
娘たちがモコモコのダウンを脱いで、ブーツをパンプスに履き替えて、笑顔を取り戻した。寒さで引きつっていた顔も、美しくほころんでいる。冬は器量が十八人並み(←十人並みより甘くしている)の娘でも、春になれば三割アップになる。  
後期高齢者寸前の俺は、去年の暮からずっと八ヶ岳のヤマネのように、冬籠もりを決め込んでいた。  
風邪を引いて肺炎にでもなると命取りだから、たまに女房殿のお供をして買い物に行くくらいで、ほとんど呑みにも行かない。勿論、散歩もしなければウォーキングもしない。もう俺は、面白くないことをコツコツ継続してやれる歳ではない。  
若い頃は散歩どころか、全速力で何時間でも走ったものだ。その当時だって、歩くのも走るのも、別に面白くはなかった。面白くないどころか苦しくて堪らないことを、どうして若い頃は毎日やれたのだろう。  
春になって改めて考えてみた。金を儲ける可能性があったわけではない。昭和三十年ごろの四回戦ボーイのファイトマネーは、金ではなくチケットだった。五百円の入場券四枚が普通だったのだ。  
「手配写真」の第七十二回に書いたように、スパーリングパートナーは二ラウンド務めて、僅か八百円しか貰えなかった。  
俺は下手だったけどラグビーも永くやった。 心臓と肺が口から出そうになるほど辛いラグビーは、それこそ五厘銅にもならない。  
俺たちの父親や祖父世代は、「そんな値打ちは五厘銅もない」なんて言い回しをよく遣っていた。ほとんどゼロに近いということだ。  
まだ「銭」の下に「厘」という通貨の単位があって、半銭の五厘銅貨と一厘銅貨は、もう通用していなかったが俺も見たことがある。  
苦しくて辛い練習は、女にモテたくてやったのだと今になって分かる。金を積まなければ、木嶋佳苗さえ振り向きもしなくなった今、ウォーキングなんかするものか。    

「もう自然にまかせるだけよ」と思っている俺だが、それでも最近は物忘れがあまりに多いから、おととい月一回の検査の時に主治医の大庭先生に、「そろそろ認知症の兆しが出ているんじゃないか?」と訊いてみた。  
大庭先生が「最近どこかに行きましたか?」と尋ねるから、「先週、仕事で鳥取に行って旨い鯛とひらまさで瑞泉を呑んだ」と答えた。次に「今日朝御飯に何を食べましたか?」と聞かれて、これも即座に答えた。そうしたら「ハイ、診察終わり。あなたの物忘れはタダの老化です」と断言された。少しホッとした。  
もう劇的なことも目新しいこともほとんど起こらない日常だから、これからは語り部は死に絶えて俺だけになった世界のことを、たまに書こうと思う。立川が“フィンカム”、所沢が“ジャンセン”と呼ばれていた基地だらけだった頃のことを書けるのは、サッチーでなければ俺だろう。  
コダックのハイスピード乾板がASA6だった昔を書ける男は、多分俺くらいだ。ホノルル水族館のスッポンを盗んだ話も書こう。もっと助平な話を書き始めればもう無尽蔵で、まだ当分死ぬわけには行かない。  



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