第176回 『一万円でお釣りが来た』


用があって吉祥寺に女房殿と一緒に出掛けた。用事を済ませてから、スーパーの三浦屋に寄って、俺はここを先途と欲しいものをあれこれ買う。今日は一万円札を三枚持っているから、春の小鳥みたいにはしゃいでいる。
これまで冬籠もりが続いていた俺は、小鳥どころか北海道のヒグマみたいになっている。ヒグマとフカ、それに東電と安全・保安院は日本人の敵で、“絶滅すべきだ”と思っている俺だが、なんとしたことか体型がヒグマに似てしまった。
育ち盛りの頃、日本は敗戦で都会は食べ物がほとんど手に入らなくなったから、俺はとにかくひもじかった。その当時の記憶にずっと縛られている。だから俺は冷蔵庫に食べ物がいっぱい入っていると、安心するし幸せな気分になるんだ。
今日は買い過ぎてレジでアシを出しても平気だから気が軽い。手持ちの金が足りなくなっても、商品を棚へ返しに行くなんて恥ずかしいことはしないで済む。
女房殿がちゃんと俺の後にいてくれるからだ。俺の暗算力が落ちて、レジでアシを出しても、恥を掻かないように助けてくれる。永年連れ添って来た夫婦だから、後で精算はさせられるだろうが、そのくらいの信頼感は培っている。
今日の夕御飯、というより晩酌の肴は、家計からではなく俺の財布で自由に買うと、家を出る前から俺は胸を張って宣言している。  
二月はまるで南極みたいな寒い日が続き、俺は町内の縄暖簾にも、お気に入りの西荻の居酒屋にも行かず、荻窪の焼き鳥屋に行った時は編集者が払ってしまったから、今俺はリッチだった。
近くにある食品スーパーの中では紀ノ国屋と三浦屋は、女で言えばペネロペ・クルスと安藤美姫で、他の女とはもう格が違う。例えば売っている出来合いのお総菜、おからでも芋の煮っころがしでも、おだしが違う。吟味してあることが口に入れた途端に、噛む前に分かるんだ。
俺は小説の他に、競馬の本や釣りの本、野球やボクシング、将棋や猫の本も出しているが、喰い物の本だって出しているんだ。タイトルは「塀の内外、喰いしんぼ右往左往」。もちろんグルメ本なんかじゃない。喰いしんぼの本なのだ。

カートを押した俺は、まずクレドールのアスパラガスの缶を680円と記憶しながらカートに入れる。
女房殿は始末がいいから、俺が抱えていた大借金を二十年足らずで全部返済してくれた。だから俺の好きなアスパラガスの缶も、フルレングスのではなく、先っぽを切ったのか、そうでなきゃ中国製の奴を買う。好きではない方たちには、クレドールも中国製も同じだろうが、俺には断然違う。
無責任でバカなのは民主党も自民党も同じだが、アスパラガスは違う。
はしゃいだ俺は、それからいろいろ酒の肴を買った。1580円の蒲鉾も買った。  
レジで払ったのが9870円だったのは、三万円も持っていたのに、一万円札一枚で済ませようとした俺のみみっちさと、暗算力の確かさを証明している。  
92キロの俺は、四月に予定している旅行の前に3キロの減量を命じられて、ボクサーかジョッキーみたいな御飯で毎日生きている。  
その日、俺は晩酌だけやった。肴は三浦屋で買った蒲鉾と薩摩揚げ、それに小魚の佃煮。見たことがない小さな魚だったから、俺はワカサギとは書かない。旨けりゃいいんだと思ったのは、俺が歳を取ったからだと思う。塩辛も旨そうなのを買った。  
酒は慶應高校の同級生、京野勉さんが社長をやっている秋田銘醸の「美酒爛漫」。  
テーブルの上で前足を尻尾の先で覆って、行儀良くしていたウニに、蒲鉾を半切れあげたら、二噛み半で呑み込んで、「この蒲鉾は旨い!」と、目と髭で言ったのだからウチのウニは、さすが“違いの分かる”猫だ。  



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