第175回 『恵比寿の夜』


カオルちゃんとジェフが自分たちが住んでいる恵比寿の素敵なレストランに、俺たち夫婦を招いてくれた。  
書いている俺は自分の古い友人だから何でも分かっているが、読者にはこの二人がどんな人だか分からない。これが小説だと、読んでいるうちにだんだん人物像が浮かび上がってくるのだが、せいぜい80行のホームページでそんなことをやったら読者に御迷惑だ。  
カオルちゃんとジェフは夫婦で、普段は英語で話している。そして英語が完璧に聞き取れるイタリアングレイハウンドの可愛いニッキーと一緒に住んでいる。  
お世辞ではなくカオルちゃんのスラリとしたプロポーションは昔と少しも変わらない。小さな細い顔がとてもシャープで美しい。うちの女房殿の三十年来の友人だが、年は5歳くらい下だろう。テレビの製作会社のプロデューサーをしていて、忙しく世界を飛び回っている。  
ジェフはうちの女房殿と同じ1954年の生まれだが、アリゾナ出身のアメリカ人だから、午(うま)年ではない。  
ジェフは180センチはあるノッポだが、アメリカ白人では稀少種の糖尿病とは縁のなさそうなスリムな体型で、超肥満の俺はなるべく横に並ばないように気を付けている。もともとはテレビカメラマンだが、驚くほど器用でいろんなことをプロ並みにこなす。  
この夫婦は今から15年ほど前に東京の教会で結婚式をあげたのだが、その時ジェフの御両親もはるばるフェニックスから来日した。初めての日本はどんな印象だったのだろう。  

今から7〜8年前に、うちの山小屋に遊びに来て八ヶ岳が気に入り、うちの近くに洒落たコテージを買って、ジェフが丹念に手を入れた。アプローチから玄関まで造り変え、キッチンもリビングも素晴らしくリフォームした。  
みんなジェフが一人でやった。カオルちゃんは、「ここはこう変えたいわ」とか「こうなったらとってもエクセレント!」とか言うだけで、あとは大工仕事からタイル職人、ペンキ屋まで何でもやってしまうのだから、うちの女房殿は感心するのだが、差を付けられた俺はいまいましくて堪らない。  
梯子に乗ったジェフが、ペンキを二度塗りして仕上げたばかりの外壁を、キツツキが二十二回突いて直径2インチの穴を、一カ所ではなく二カ所開けたから、ジェフは泣き出した。  
ウソじゃない。「梯子を抱えた西洋人が、オレサマが開けた穴を見て、きっと感動したんだろう、涙をこぼした」と、キツツキがうちのベランダまで飛んで来て俺に報告したんだ。八ヶ岳の鳥は昔気質で白人はロシヤ人でも西洋人と言う。  
キツツキが報告に来たのは、俺が「あのペンキ屋の白人と一緒に住んであげると喜ぶと思うよ」と言ったからだ。  
「バカ。折角苦労して塗った外壁に、穴を開けて巣を造ろうと思ったのか。俺はどこか目立たない庇の下か軒先にでも造るのかと思った」と言ったのだから、俺は政治家か安全・保安院になっていたらきっと、田中直紀ぐらいは偉くなっていた筈だ。  

カオルちゃんとジェフが連れて行ってくれたのは、“ア・ポンテ”というイタリアン・レストランだった。俺も女房殿もイタリアンは大好きだ。しかし女房殿は大柄なのに、食べ物が胃に一度に少ししか入らない。  
イタリアンなら最初のオリーブやアンチョビのアンティパストミストに、生ハムとメロンのプロシュートメローネを食べると、もう次のパスタかリゾットが少し苦しくなってしまう。  
まだこの後に、羊のローストとか仔牛のカツレツとかオッソブッコなんて凄いアントレが出て、最後に10インチの皿に、三角に切った両端が届くほどの超弩級のチョコレートケーキを、ソフィア・ローレンでもライオンみたいに食べるのがイタリアンだ。  
しかしカオルちゃんは伊達に三十年友達をやっていない。うちの女房殿の胃のキャパシティーに合わせて、いろいろな料理を少しずつテーブルに運んでくれた。まるで日本の懐石料理だ。  
どの料理も素晴らしく美味しかったのだが、俺みたいな野蛮人には、あまりチョッピリでは食べている間にお腹がギューと鳴る。  
オッソブッコも「これセントバーナードか?」と思ったほど小さかった。  今度は女房殿じゃなく、俺のイタリア人並みの胃袋に合わせて堪能したい。  
カオルちゃん、ジェフ、どうもありがとう。  



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