第167回 『煙草は身体にいい』

世界中で一番好きなホノルルには、俺は行けなくなった。レストランやバーは勿論、ホテルでも煙草が吸えなくなったからだ。  
あのバカな禁酒法をやったアメリカだから、健康に悪いとなれば何でもやる。俺は常識や良識を疑いもせずに受け入れる人を軽蔑する。正義を唱え神を語る人とは、金を貰えば別だがタダでは十分も一緒にいられない。
戦争の方が煙草よりずっと健康には悪いと俺は思うのだが、オバマもヒラリーもそんなことは考えない。建国以来、戦争が主要産業のお国柄だからか。  
戦争と同じくらい身体に悪いのは恋だ。勉強や仕事が手につかなくなったり、脳味噌に血が回らなくなって、とんでもないことをしでかしたりする。身体に悪いから恋はしないという奴を、俺は軽蔑なんかしない。頭から人間扱いをしない。そんな野郎は選挙権を持ったエテ公だと決めている。    
俺が最初に煙草を吸ったのは、戦争が終わる直前の昭和二十年の初夏で、満八歳の時だ。  
おふくろの“鵬翼(ほうよく)”という、積乱雲と双発の飛行機が空に浮かんでいるデザインの両切りを一本盗んで、ひとりで風呂に入ったのは、湯気で煙を誤魔化せると思った小学二年生の智恵だった。  
気が付くとおふくろと姉が、俺の腹や胸を押して水を吐かせていた。妙に大人しく湯に入っていると思ったおふくろが、風呂場を覗いて底に沈んでいた俺を見つけたのだと言う。  
マッチを外に捨てたのまでは、はっきり覚えている。そして煙を吸い込んだ途端に、湯船の中で身体がグラリとしてから記憶がない。救急車なんか来ない熱海の山の中だから、もうほんの少しおふくろが風呂場を覗くのが遅かったら、俺は溺死していただろう。  
息を吹き返した時、俺はグチャグチャになった煙草を右手に握り締めていたというのだから凄い。誰も褒めなくてもいい。俺は煙草を握って湯船に沈んでいた自分を、“死んでもラッパを離さなかった木口小平”と同じぐらい凄いと思う。ウニが世界で五本の指に入る可愛いネコだと勝手に思っているのと同じだ。  

俺はディズニーシーが結構好きで、たまに泊まりがけで遊びに行っていた。ディズニーシーのホテルは、サービスが完璧で飯も俺の好みに合っていたのだが、先日女房殿が「ディズニーシーのホテルも、全室禁煙になったわよ。バルコニーもダメだって」と言う。  
「そんなこたぁ平気だ。俺は少年院でも刑務所でも煙草を喫み続けた男だ。ヘイキのヘイキ、チャラホイスだ」と俺は言ったのだが、女房殿は「隠れてコソコソ吸う煙草は不味い。卑屈でイヤだ」と言う。書いていて気が付いたのだが、“煙草を喫む”とした方が“吸う”より、ずっと旨そうだ。これからは必ず“喫む”を遣おう。  
ヨーロッパに行かなくなったのも、飛行機が禁煙になったからだ。スタンドで煙草が喫めなくなった野球なんか、誰が仕事でなくて行くものか。仕事だから、金儲けだから、俺はなんでも我慢してたんだ。  
しかしプライベートは我慢せず過ごしたい。当たり前のことだ。だから旅はもっぱらアジアになった。建前は同じでも、アジアは欧米より規則が四角四面じゃない。まだノリシロがたっぷりあるんだ。  
人間はいつか必ず永眠する。ナベツネでも片山さつきでも、黒木メイサでも小栗旬でも必ず故人になる。だから尚更、恋も煙草も喧嘩も、やめるわけには行かないんだ。今から今日十二本目のショートホープに火を点ける。喫み過ぎないように、俺は数を数えているんだ。喫み過ぎると喉がイガラっぽくなるからで、健康の為ではない。


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