第161回 『ホンダS-500』

天気予報のアナウンサーが「自転車と同じスピードの台風だ」と言うのだが、俺もウニも見当がつきかねて顔を見合わせる。  
「それって遅いの?」とウニが目と髭で訊くから、「競輪のレーサーだったら速いし、ベランダの下を通るオバサンだったらノロい」と、俺がヒトの言葉で答えると、ウニは右の耳を僅かに傾けた。これは「何のことだか分からない」というネコ語だ。  
そのグズグズした台風は、まさに四国を掠めようとしていた。ウニは愛媛県は松山の出身だから、テレビに映った地図を見て浮かない顔になる。  
一緒にベランダに出ると仲良しのカラスに、大きな声で「ミャーオ」と叫ぶ。ネコ語で「早く巣に帰らないと、雛が台風で吹き飛ばされるよ」という意味だ。「たったひと声でそんなに沢山の意味が籠められるわけないでしょ」なんて、女房殿やネコ語を喋れない連中は思うだろうが、それは分からない奴の僻みだ。  
ノラネコだって町内会の会合や裁判だってしているんだぞ。ネコ語はとても難しい。イントネーションが複雑だからCIAも解読不能なんだ。普通のヒトには分からない。  
「とにかく台風は嫌いだ。来ない方がいい」と俺が呟いたら、ウニは胸を膨らまして黒い雲を睨んだ。  

俺が青山通りに駐車しておいたホンダS-500のトランクの蓋(正確にはトランクパネル)を、いまいましい台風が吹き千切ったのは、1966年だったから今から45年も前の話だ。  
S-600ではない。1963年の秋に売り出して、僅か数ヶ月で販売を打ち切ったS-500だ。700キロを割る軽い車体を、531t40馬力のエンジンで動かす、ホンダが初めて出したライトスポーツだった。  
イギリスのMGミジェットやイタリアのイノチェンティと比べても断然、ホンダのS-500は洒落ていた。アイ・ジョージと坂本スミ子のマネジメントをしていた大阪のターゲット・プロの古川益男は、上京するたびに俺のところに車を借りに来る車好きだったが、ホンダが幌のライトスポーツを売り出すと聞いて「45万円だから買え。今度東京に行ったら乗せてもらうから」なんて電話を、大阪から掛けて来た。  
古川益男は機会があったら改めて書くが、当時俺に興行のイロハを教えてくれた人だ。師匠が買えと言うんだから断れない。確かいろいろオプションを加えて、50万円以上払った覚えがある。  
ホンダはすぐ100tパワーアップしたS-600を売り出したので、S-500はホンの数十台しか売らなかっただろう。しかし、このライトスポーツはよく走った。それに何にも増してシートとドライビングポジションが、その頃176センチ80キロでやや胴長の俺にピタリと嵌った。  
シートはトライアンフのTRーVやWよりずっと座り心地がいい。MG−Bなんか比べものにならないほど、ホンダのS-500は優れものだった。  
青山通りの石津謙介さんの『ヴァンヂャケット』の前に路上駐車していた俺のグレイに塗ったホンダS-500を、渋谷の方から吹いて来た台風の突風が、ヒンジをねじ切ってトランクパネルをどこかに吹き飛ばしてしまった。「おい、ウソだろ」と、俺は呆然とした。  

いくら男を売るのが稼業の若いモンだと言っても、この場合イチャモンを付ける相手はホンダ以外には見当たらない。台風はとっくに温帯低気圧と名前まで変えて、遙か彼方にピューしている。“ピュー”というのは、姿を消すという当時のヤクザ言葉だ。ネコ語ではない。  
ホンダの工場にトランクパネルが取れたクルマを持って行って、「冗談じゃねぇぜ、台風で吹き飛んだ。直せ」と、思い切って機嫌の悪い声を出したのだが、その当時の俺は写真を見れば誰でも納得するが、小栗旬と瓜二つのイケメンだったから、ホンダのメカニックは全然ビビらない。「保証期間が過ぎているから有料になりますが、よござんすか?」なんて、ふざけたことをヌカす。  
ヤクザは声だけヤクザじゃ駄目だ。顔も凶悪無惨でないと、台風でヒンジをねじ切られて吹き飛ばされたトランクパネルを、ホンダはタダで直してはくれない。  
俺は仕方がないからトランクパネルのない車に乗って、神田の北乗物町の鉄火場に行って当時凝っていた手本引(てほんびき)を、翌朝まで無念無想で一所懸命引く。  
モドリを貰って表に出て車の所に戻ったら、なんとしたことかトランクに入れておいたスペアタイヤもジャッキもない。天皇陛下が住んでいる千代田区に、博奕打ちの車から物を盗む盗っ人がいていいものかと、俺は日本の将来を憂えた。  
手本引は六枚の専用花札を使ってやる博奕で、モドリというのはテラ取りという主催者がくれる電車賃のことだ。  
眠い目を無理にこじ開けて、目一杯凶悪な顔を作ると、俺はトランクパネルもスペアタイヤもジャッキもない車に乗って、もう一度ホンダの工場にすっ飛んで行く。  
「四の五の言わず、すぐに修理をしてくれていたら、スペアタイヤもジャッキも盗まれずに済んだ。どうしてくれるんだ、このボケナスッ」と叫んだら、女事務員の指が電話のダイヤルにそっと掛かる。  
自慢じゃないが叩けばシャギーの絨毯みたいに、モウモウと埃の出る男を売る稼業の若いモンだ。パトカーを呼ばれたら忙しくなる(忙しくなるというのは、要するに面倒なことになるということだ)。俺はまた車に飛び乗って、ピューした。  

けどこのままでは腹の虫が治まらない。ムカついて、懲役どころか死んでしまうと思った俺は、トランクの上に鉄製の網を張って、中にチャボを二羽入れた。  
交差点で止まると必ず、「キャー、それニワトリ?」とか、「なんでそんなところにチャボがいるんですかぁ?」なんて訊くバカがいる。そのたびに俺は大声で、「ホンダが直さねぇから、チャボを飼ってるんだ」と叫ぶ。  
訊いた人はなんのことだかよく分からなかっただろうが、俺は東京の目抜き通りを走り回って、訊かれるたびに「ホンダのバカが…」とか「ホンダの野郎が…」と喚き続けていたのだ。夜はチャボを盗まれないように若い衆を二人付けた。  
二週間経って、麻布十番の修理屋のオヤジが俺の所にやって来た。「無料で修理します。塗装はもちろん、スペアタイヤもジャッキもみんなタダで付けます」と言う。  
ホンダが裏で手を回したのは分かっているが、この辺で止めないと、こっちの手が後ろに回る。チャボはその頃の愛人が鍋にして喰ってしまった。45年経った今は、チャボのクビを締めて肉に出来る女は、もういない。  

ウニが脅かした台風は遠く去った。


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