第160回 『遂に出来なかった夢のようなこと!』

どこでも一緒だろうが杉並のオバさんや娘さんは、仇討ちに駆け付ける荒木又右衛門のような形相で、脇目もふらず一時停止なんかもちろん無視して自転車を漕ぎ続ける。
顔立ちは十人並みなのだが、ひきつった顔には微笑みの用意がない。これでは娘さんは、恋しい男とすれ違っても、咄嗟に取っておきの笑顔にはなれないと心配性の爺さんは思う。   
あんな取り憑く縞もない無愛想な顔が、日本の少子化の原因だということを、菅カラや枝野はともかく、蓮舫首相補佐官サマも御存知ない。  
微笑みの用意のカケラもない女たちは、自転車を漕いでどこまでも走り続ける。雨なんか屁でもない。放射能入りでもセシウム入りでも、恐るべき鉄面皮が弾き跳ばしてくれる。  
おまけに三人に一人は、片手運転でケータイの画面に目をやっている。こんなのにぶつかって死にたくない。せっかく花も嵐も踏み越えて、此処まで生きて来た俺だ。  
七十四歳の俺は道ばたで、そんな美しくない女たちがママチャリで往くのを、「あんな女に頼まれても、誰が抱いてやるものか。漕がなくてもいいから後ろに乗ってくれなんて言われても、絶対に嫌だ」と、気が弱いから心の中で呟く。  

こんな想いはウニや女房殿に打ち明けても、理解されるようなことではないと最初から諦めている。俺と長く一緒に住んだウニと女房殿は、自転車に乗れないという俺の秘密を知っているから、アクビをしたり適当な相づちを打って右から左に聞き流すのだ。  
そうだよ。確かに俺は自転車に乗れる人が羨ましくて、妬ましくて堪らない。娘さんやオバさんに限らず、幼稚園児くらいの子が俺の目の前をスーッと自転車で通っても悔しくてならない。  
思えば俺の十歳から還暦までの五十年間は、詰まらないことに頭を使った。自転車に乗れないことを他人に悟らせないように、思考力の75%くらい使っていたのだ。そんなことに脳ミソのほとんどを使ったから、俺は親分にもなれず文学賞も取れなかった。  
途中少しは稽古もしたし競輪だって嫌というほどやったのに、俺は遂に、春風を顔に受けて颯爽とサイクリングをすることはなかった。  
若い頃は、ある日突然自転車に乗れるようになったら、タンデム車に岡田奈々ちゃんをのせて、横浜でも久里浜でも好きなところに行こうとよく思った。  
タマに女房殿に「安全なところで集中的に練習したら、今からでも乗れるようになるかな?」 と訊くのだが、女房殿は「無理っ!絶対ダメっ!転んで鼻の頭を赤剥けにするか、手首を捻るか、腰を圧迫骨折するのがオチよ。そうなったらアタシが大変だからダメッ!」と、にべもシャシャリもない。  
後ろでウニまで「そうだ、そうだ」と、圧迫骨折なんて言葉も知らないくせに女房殿のお追従を言う。可愛いくねぇ奴だ。  
ああ、ウィンドサーフィンもハングライダーも、ついに出来ないまま終わる。俺のアイドル、内田有紀も安室奈美恵も、それにソニンだって自転車と同じだった。夢は夢のまま終わる。  
そして心残りだけが、胸の中に降り積もってゆく。


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