第158回 『映画館で見ない映画』

この半年ほど、立川のシネマシテイにも吉祥寺の映画館にも俺は行っていない。女房殿が連れて行ってくれないからだ。
若い頃は小栗旬とクリソで、今でも女房殿や息子に「もしやあの俳優を認知しているなんてことはないでしょうね」と訊かれるハンサム爺さんだから、人目を集めるのが煩わしくて連れて行ってくれないのではない。  
興味が湧かないシーンになると途端にイビキをかいて寝てしまうからだと、ウチの絶対専制君主の女房殿は迷惑そうに言う。これが、二十数年前に感動と興奮で目を泣き腫らして入籍した女だとはとても思えない。  
ほんの二〜三年前までは、どんなに詰まらないシーンが連続する映画でも、俺は制作者の才能が爆発する場面を期待して、一所懸命落ちかかる上瞼を吊り上げて、真剣にエンドマークまで見続けていたものだ。  
ところが最近は、もうそれが出来ない。女房殿は、周りの人に迷惑だし、自分も気を遣って映画に集中できないと文句を言う。それはそうだろうが、俺だってわざとやっているんじゃないから仕様がない。  

昭和21年に「オーケストラの少女」を見て以来、ずっと映画を見続けて来た俺だ。淀川長治さんも小森のおばちゃまも、「アンタは本当によく映画を見てる」と魂消ていた。  
俺は稀代の大嘘つきだが、女と金のことに関しては少々粗雑なウソをつくけど、映画については全部本当のことだ。昭和三十年代と四十年代は、寄場(ヨセバ)にいない時はほとんど映画館にいた。  
永く映画を見た俺は、映画が面白く出来上がる条件を知っている。まず第一に脚本が良くなければいけない。その次は制作費で、これは多ければ多いほどいい。そして監督の腕と俳優だ。監督と俳優は腕さえよければ、有名無名は関係ない。  
制作費の安い映画はやたらと夜のシーンばかりで、若かった俺でも女優がいくら綺麗でも眠くなって堪らなかった。逆に夜のシーンばかりで面白い映画があれば、これは才能の勝利で名画だろう。  

俺は先日、近所のレコード屋で一枚五百円のDVDを、三十分かかって撰んで二枚買った。「コレヒドール戦記」と「望郷」だ。前者は66年前、後者は74年前の映画だが、俺の想い出が詰まっていて涙がポロポロ出た。  
思い出したから書いておくが、「ジブラルタルの鮫」という題名のフランス映画を、是非もう一度見てみたい。1947年製作のモノクロ・スタンダードだ。まだDVD化されていないようなので残念だ。出たら三十分も悩まずにすぐ買うのに……。ドイツの女スパイとイギリス人将校の悲しい恋の物語で、主題歌の“メランコリー”は大ヒットした。  
数日前、NHKのテレビで「エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜」を見た。こんな映画を映してくれるのなら、俺は受信料を払う。主演女優のマリオン・コティヤールは素晴らしい。俺は感動して泣いた。身体中に哀しみが詰まっている小さなピアフを、マリオン・コティヤールはピアフが乗り移ったかのように見事に演じきっていた。最近見た映画では一番素晴らしかった。  
熊井啓監督の「帝銀事件・死刑囚」はCS放送で見た。当時の警察の出鱈目な取り調べや自白調書、いい加減な裁判をドキュメンタリー風に丹念に描いていたが、終わり方がちょっと物足りなかった。昭和39年、初めて監督になって撮った映画だから仕方ないのかも知れない。  
俺は映画が好きだ。これからは詰まらなければいつでも眠れるように、ウニを抱いて家のソファーで見る。

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