第155回 『金太郎とヤマンバ』

東電に怒りオバカテレビを罵るのもむなしくなった。今回は麻布中学の先輩、吉行淳之介さんの話を書く。

吉行淳之介さんと対談をしたのは、今から二十五年も前だった。余談になるが、雑誌がよくやる対談というものは、やる当人より文章にまとめるライターのセンスが大きい。  
一言一句なんてことではない。大袈裟ではなく句読点の打ち方ひとつで、つまらなくもなるしゲスくもなる。巧い人がまとめると、捨てる話、生かす話、話の接ぎ穂、脱線、寄り道、全体を上手く構成して、その場の空気を読者に鮮明に伝える。  
当時の俺は日の出の勢いではあったが、業界では際物の新参者に過ぎない。はっきり言って添え物で、当代随一の小説家だった吉行さんだから、出版社もこの対談には腕っこきのライターをつけた。どうでもいいことだが、場所も超一流の料理屋で今のショボくれた出版界とは時代が違う。いくらだったか忘れたが、俺でもギャラは二十万円ぐらい貰ったと思う。吉行さんはもちろん倍以上だろう。
今から思えば夢のような時代だった。

余談はいい加減にして本題に戻る。
いい機嫌に酔っ払った吉行さんと俺は、若い頃の女学生の想い出噺になって白熱した。山脇だ女学館だ、いや東洋英和が良かった、なんてオッサン・爺さんがよく熱中する話題だ。  
吉行さんは、「ジュンシンの創始者は凄い婆さんだった」とおっしゃった。俺はこの原稿に取りかかる前に、インターネットで確かめたのだが、長崎の純心女学校が出て来るばかりで、肝腎の広尾にあったジュンシンが見つからない。仕方がないから片仮名で書いた。  
「ジュンシンに美少女が揃っていたのにはワケがある。入学試験の答案用紙は、採点なんかしないで、即ダルマストーブで燃やしてしまった。創始者の婆さんには、“美しい女は必ずや玉の輿に乗る”という信念があったから、最初から入学試験なんか形式で、面接をして綺麗な少女に絞って入学させた」  
「ヒャーッ凄い。だからジュンシンはあんなにハクイ女学生ばかりだったんですね」と、その頃五十歳くらいだった俺は、十三歳年上の麻布中学の大先輩に叫んだ。  
「卒業生が次から次に玉の輿に乗れば、寄付は集まる。評判を呼んで入学希望者はドンドン増える。ジュンシンが日本一の女学校になる日は近い…と婆サンは睨んだのだから、目の付け所が違う」  
ピアニストみたいな指でグイ呑みを持って、吉行さんはふた口で干す。そしてお酌をした俺の顔を覗き込んで、「俺が旧制の中学三年の時に、ジュンシンには金太郎という渾名の、コンパスで描けるような丸い巨大な娘がいた。顔も丸、身体も円で、可哀相にあんよまで丸い。その金太郎が俺を見つけると、『待てーッ』と大声で、タンクタンクローみたいに追い掛けて来る。必死に逃げたのだが、それから半世紀も経って思い出すと、もしあの時、逃げ遅れて金太郎に捕まっていたら、いったい俺は何をされたのかと思う」と吉行さんは呟いた。  

ここで簡単な説明をしなければ、若い読者には話が見えない。女学校のジュンシンは、7番の都電(四谷三丁目・品川)に乗って、日赤産院と広尾の間にあった。俺たちの麻布中学は6番の都電(渋谷・新橋)だと、霞町で降りて少し歩くのだが、7番だと日赤産院で降りてこれが一番近い。この辺りは女学校のホットスポットだったのだ。  
タンクタンクローというのはその当時の人気漫画で、主人公のタンクローは身体が球体で小さな穴が何カ所も開いている。逃げる悪者を頭も手足も穴の中に入れて、ゴロゴロと追い掛け踏み潰し、城壁だって破壊してしまう。いざとなれば穴から出した手には、十手でもマシンガンでも握っているという凄い奴だ。  

またまた本題に戻る。吉行大先輩は、ジュンシンの怪物・金太郎に追い掛けられる恐怖がトラウマになっているようだったが、その時、なぜ俺はもっと巧く相づちを打って、吉行さんに捕まった後に起こりうる極限の事態について話を掘り下げなかったのか。ホラーになったかサスペンスになったか、ラブストーリーだってあったかもしれない。  
「僕は昭和十二年生まれですが僕たちのころも、綺麗な子ばっかりのジュンシンに、ヤマンバって渾名の凄まじい娘がいました。金太郎なんてもんじゃありません。ヤマンバです」  
俺の言ったのを聞いて吉行さんは、目を半眼に閉じて考え込む。やがて目を開いてグイ呑みを干すと、「ウム、小沢昭一もそんなことを言っていた。あいつは五年後輩だから金太郎を知っているわけがないのに、この前呑んだ時、『ジュンシンの金太郎に私も追い掛けられました』なんて言うから、このウソ吐きめと思っていたのだが、キミの時代にも似たのがいたのなら、小沢昭一のころにも多分そういうのがいたのだろう」。  
そしてこう続けた。「ジュンシンの創始者婆さんは、驚くべき経営者だ。ただ美少女を集めただけではない。引き立て役の怪物がいてこそ、美少女たちはより輝きを増すのだ。毎年ひとり怪物を入れたのは慧眼だ、珠玉の智恵だ」。  それから呑みに呑んで酔っ払ったので、あとは何を話したのか覚えていない。


目次へ戻る