第145回 『明日の朝まで生き抜くぞ!』

古稀を過ぎると加速度的に老い耄れる。頭と心のバネが伸びきって、文章に弾みもリズムもなくなるから書いていてイヤになる。
年を取った作家は、ほぼ三つの類型的な分野に入り込む。宗教と歴史、それに官能の世界だ。俺はその三つだったら歴史に没入したい。特に明治維新以降の日本現代史、昭和の初めまでがとても面白くて興味がある。東条や近衛、昭和天皇が登場すると、その途端に俺は創作意欲を喪って他人サマの小説ばかり読んでしまう。
飛行機はプロペラでなければダメだし、博奕打ちも花札とサイコロが似合う。新聞社は伝書鳩で原稿を送り、兵隊の小銃も単発かせいぜい五発入りの弾倉で、ボルトアクションでなければつまらない。
中学ではなぜ、日本史を「古代国家の成立」から教えるのか。卑弥呼だ大化の改新だなんて大昔のことより、安保条約から始めて逆に遡って教えた方が、現代社会とどう繋がっているのか分かり易くて、ずっと子供たちの興味を引くと俺は思う。

俺は随分前から、朝十時半ごろと夜六時ごろの二食にしている。三食キチンと食べた方が体重も落ちると人は言うのだが、俺は特殊なんだ。毎晩寝るのは夜中の三時ごろで、もうとっくに全部消化して胃の中はカラッポだから、お腹が空いて腹がグーと鳴る。毎晩俺はひもじかった1945年の世界なんだ。しかし、この極限の空腹に耐えているから、俺は辛うじて100キロにはならずにいる。
主治医の大庭先生に、「腹が空いて眠れません。どうしたらいいでしょう?」と訴えたのだが、話をはぐらかされてしまった。
みんな年を取ると食が細くなるとか、脂っぽいものを受け付けなくなるとか言うが、俺は全然そうじゃない。蕎麦も豆腐も大好きだが、そんなもんばかり食べていると身体の脂分が抜けて、身も心もパサパサになる。俺はいつまでも欠食児童のようなもので、年中お腹を空かしている。
“死人に口なし”だから記録にないだけで、実は多くの年寄りが空腹による不眠と、やっと眠りについた後、空腹に起因する悪夢で脳の血管が破れてお亡くなりになっているのではないかと俺は睨んでいる。
その悪夢にウナされて脳血栓になる危険を、ほぼ完全に防ぐ術を編み出したんだから、俺は医学大博士だ。大が付いている博士なんか俺だけだぞ。
読者の皆サンに俺の秘術を教えて差し上げる。毎晩、女房殿に翌朝の献立を訊く、それだけだ。そして眠りにつくまで、「温泉卵にサバの文化干し、いかなごの釘煮とお新香に御飯、それに豆腐のおみよつけ」と、声には出さずに頭の中で繰り返す。
「これを食べるまでは絶対に死ねない」と念じることで、俺は驚くほど長生きしているのだ。な、凄い術だろう。金も全然かからない。なんだよ、明日の朝メシが生きるモチベーションで何か悪いか!!

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