第139回 『戦争を止めよう!』

今年も八月十五日が来た。前後一週間ほど、マスコミは揃って、六十五年前の残酷で目を背けたくなる敗戦をこれでもかと報じる。
アメリカは広島と長崎に原子爆弾を落とした。日本は非人道的だと言うが、アメリカは沖縄を占領するのに、日本軍があれほどの抵抗をした現実があるのだから、日本本土に上陸して日本政府に無条件降伏を呑ませるとなれば、アメリカ兵の損害は数十万人、日本は非戦闘員を含めて数百万人の死者が出る。だから日本を降参させる為には、原子爆弾の投下が最善だったと言う。
どんな絶望的な戦況になっても、日本兵と日本人は天皇陛下のオン為に、たった一つの大事な命を捧げたのだ。
七十三歳の俺は敗戦の時、国民学校(今の小学校だ)の二年生だった。五反田の家は爆撃で燃え、機関銃で撃たれ、寒さに震え飢えて哀しい思いをした。
権力者は必ず大義名分を掲げて、国民を戦争に駆り立てる。宗教家も学者も、狡い奴は協力し、まだいくらかまともな人はただ沈黙して嵐の過ぎるのを待つ。
戦争が終わった時、俺は八歳だった。穏やかで平和な日本人、言い換えれば卑怯だとも言えるのだが、ほとんどの日本人がマスコミが煽り立てるまま、軍部が担いだ天皇陛下を現人神(アラヒトガミ)だと信じて、死ぬまで闘う気になったのを、いや積極的に命を捨てに行ったのを、子供だったが俺は知っている。

戦争では死ななかった俺は、愚かにも道を踏み外して、人生の半ばを無頼に、そして無為に過ごした。学問と教養を積むべき時に、自らの判断で狭斜の巷に落ちたことを、俺は恥じている。足を洗って作家になっても、還暦くらいまでは何も考えず、ケモノのように反射的に衝動的に生きて来た。
老い耄れたのと同時に、俺はやっと人並に物を考えるようになった。
此処は俺のホームページだから、反発をかおうが、バカ爺いが何を言う、と嘲笑されてもいい。頭がちゃんとしている間に、一度は真剣に、これを書いておかなければいけないと俺は思った。
ペニシリンを作り、ロケットで月にまで行った人間は、その英知で究極の悲惨、戦争という下っ端の殺し合いを止めたらどうだ。
俺は日に日に老いて行く年寄りだが、生きている限り、全ての権力に反抗する。権力は本当に、人間の最悪なパワーだ。全ての戦争は権力者が、手先のマスコミや権威者を使ってやったことだ。
俺は戦争を避けるためにだけ選挙に行く。権力者の手先のマスコミと御用学者は、俺より先に苦しんでクタバレ。


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