第135回 『身辺書き散らし』

今回は身辺雑記だ。年を取ると毎日、劇的なことが起こるわけではない。けど、ここしばらくは非日常的だった。
週刊誌で親子対談のページに出てくれという話があって、対談場所の高田馬場の喫茶店に行った。ゴロツキだった父親と、そのせいで肩身の狭い思いをしたに違いない息子の対談だから、張り切っていたのは編集者だけで、当人たちには“楽しく懐かしい思い出話に花を咲かせる”ということにはならない。俺は終わってから息子と一杯呑むのを楽しみに引き受けたのだ。
息子は小さいときから野菜嫌いだった。年頃になって女が出来れば、「僕、サラダ大好きです」なんて、好かれたい一心で野菜を食べるようになると思っていたのだが、40歳になってもまだ野菜を食べないと言う。
俺がそばにいたら、こんな偏食はさせなかったはずだから、これは俺を閉じ込めた法務省の責任だ。
対談が終わって、俺と女房殿それに息子夫婦で喫茶店の向かいにあった居酒屋に行く。息子夫婦はもう一緒になって17年だというのだから凄い。いや、これが普通なのかも知れない。仲良くやっているようなので安心した。
この前、この夫婦と会って酒を呑んだのは何時だったかと、酔っ払う前に考える。「次に会う時はハモで一杯やるべい」と言った覚えがあるから、まだ寒い時期だった。多分去年の暮れくらいか。息子夫婦との絶妙な距離感を俺は愛している。
店を出て、酔っ払って高田馬場の駅前を歩いていたら、「下町讃歌」の著者が御本をくださった。ありがとう、ゆっくり読ませてもらいます。
息子の嫁は酒呑みだが、ウチの女房殿は下戸で、毎度こんな場面ではウーロン茶かジンジャーエールで付き合ってくれる。試しにこの旨い芋焼酎を呑んでみろと俺は勧めるのだが、女房殿は呑むと気持ちが悪くなるので試そうともしない。

6月15日の火曜日に、左目の白内障の手術を受けた。濁って光が充分に通らなくなった水晶体を取り除いて、眼内レンズに入れ替えるのだ。掛かり付けの根津の日本医大病院で、執刀は高橋先生だ。普通は入院するのだそうだが、入院はいろいろ規則に縛られるので、俺は日帰りでやっていただいた。
まず左目で、一週間開けて右眼の手術だ。
生まれた時から73年間、瞳の中に収まっていたものを、切開して超音波で砕いて抜き取り、人工的なレンズに入れ替えるのだから、これは背丈が縮むほど怖ろしく痛たそうだ。
と、思っていたのだが、局所麻酔の術中はもちろん、術後もまるで痛みはなかった。俺の瞳に入れたレンズは、遠近両用の多焦点なので、もう眼鏡入らずになる。医学は驚くほど進歩しているんだ。
22日に右眼を終えて眼帯もとれ、今日初めてパソコンの前に坐った。まだ焦点が完全には合っていない。毎日数え切れないほど、いろんな点眼薬を差すので、眼がいつもウルウルしている。しかしそんな状態でも、格段にものがよく見えるようになったのが分かる。
日本医大は老年内科・泌尿器科・眼科と皆さんとても親切だ。眼科の看護婦の古池さんは、俺の半分ぐらいしか体重がない華奢な方だけど、外来から遠く離れた手術室まで、女刑事みたいに俺の左腕をしっかり握って歩いてくださった。看護士なんて言葉は知ってはいるけど、毛脛の男にしか遣うもんか。古池さんは素敵な看護婦さんなんだ。

今、俺はこの原稿を老眼鏡ナシで書いている。20年かけていた眼鏡とオサラバだ。今日は雨だから転ぶといけないので止めておくが、晴れたら古道具屋に3.5の老眼鏡を売りに行こう。もう老眼鏡は、自民党や舛添要一と一緒で要らなくなった。


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