第133回 『コメントは嫌いだ』

三日ほど前、珍しく何本もテレビ局から電話があった。みんな、砂かぶりで大相撲をヤクザが見ていた件で取材したいと言う。全部断った。
オバカテレビのバカタレニュースになんか出るもんか。これまで何度この手の取材で非道い目に遭わされ、大喧嘩をしたことか。同じようなことをこの歳でやったら、俺は飼い猫のウニよりずっと愚かだ。
愚かなことでもカネ次第でやらないでもないが、1〜2分の出演でテレビ局が払うギャラは、せいぜい1万円ぐらいのことだ。不義理やリスクのあることを敢えてする金額ではない。

どんなことをテレビ局のニュースはやるか、説明しなくてはいけない。
この手のコメントは、通常使われるのは30秒から長くて2分くらいだ。これこれの件で取材したい、コメントが欲しいと、ディレクターが電話をしてきた時には、報道内容のストーリーというかアウトラインが決まっている。取材対象にはそれに合わせた内容を喋って欲しいのだ。
こちらがそのアウトラインに添わない話や違う見方を喋ると、ディレクターは困って何とか番組の考えたアウトラインに添った話に持っていこうと 30分でも1時間でも粘る。
ものごとは多面的だから、「そういう考え方も認めるが、しかし俺の考えは違う」と言っても、テレビ局はこちらが踏み込めない編集という奥の手を持っている。言葉をうまく繋いで、それらしく話を作ることだって出来るのだ。どうしても上手くいかない時は、「時間の関係でカットになりました」と放送直前に連絡してきたりする。フザケルナだ。
たとえば旧友の故橋本龍太郎が総理大臣になった時、たまたま香港にいた俺の所にどこかのテレビ局のクルーがやって来てコメントを取った。「ゲスな田舎者ばかりの自民党で、唯一橋本龍太郎は都会育ちのお坊ちゃんだ。今までより少しはマシな政治をしてくれると、俺は期待している」と言ったら、短いコメントをズタズタに切って、「橋本さんはお坊ちゃんだ」だけにした。これはディレクターの青二才がいくら弁解しても、悪意だ。
テレビ屋は不誠実で、視聴率が取れれば何でもやる。銀行やゴロツキよりずっと悪い。
こういうことを“丸い卵も切りよで四角”と言う。子供の頃からのいい仲が、オバカテレビの小僧の為に危うくオカシクなってしまうところだった。

ちなみに俺はニュースの“街の声”という奴も無意味でアホらしいと思っている。どう取捨選択するかはテレビ局の胸先三寸じゃないか。いくらでも偏向報道が出来る。郵政改革で小泉純一郎に踊らされたのが記憶に新しい。銀座の街かどこかで、3人くらいのオバサンが何か感想を言ったのが、あたかも日本中の思いや訴えみたいに聞こえるようにしつらえる。馬鹿馬鹿しい。

俺は嫌いなものは嫌いで、片山さつき、泉ピン子、田原総一朗、それに福島みずほがいくら怒っても、嫌いなんだから仕様がない。世の中には好感の持てる人ばかりじゃないんだ。
しかし、コメントを悪意に歪めるテレビ屋は、社会のダニ、害虫だ。俺は何よりオバカテレビと大新聞が大嫌いだ。


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