第130回 『ホゾヲカム』

時間はあったのだ。壁にカレンダーを彫り込んで、朝飯を食べ了えるとその日は終わったことにしてバツで消していたほど、嫌になるくらいあったのだ。若い頃になぜ英語でもフランス語でも、もっとちゃんとマトモな本が読めるようにしておかなかったのか。
この年になると残念というより、自分の怠惰と愚かさに腹が立ってならない。俺と同じ世代の男はこういうときに、きっとホゾを喰い千切るのだろう。
俺は今日現在、176センチで89.6キロと標準よりちょっぴりデブだから、骨と皮の爺いみたいに自分の臍なんか噛めない。それに俺が生まれた四谷の産科病院の医者は、手抜きをしなかったから出臍でもない。痩せていたって臍なんか噛めるものか。
なぜヘソのことをホゾと言うのか、方言か何かと思って三省堂の辞書を引いてみたら、「ほぞ=ヘソの老人語」と書いてあった。オイ、老人語ってなんだ?赤ちゃん語とか幼児語、ヤンキー語とか女子高生語なんていうんなら、まぁ分かるが老人語って聞いたことあるか。じゃぁ目や鼻は老人語じゃ何て言うんだ。

おととい丸一日掛けて、佐々木譲の「警官の血」を読んだ。なぜ他人様の小説は、こんなにゾクゾクするほど面白いのだろう。
そして昨日は、女房殿がツタヤで借りて来た「JINー仁ー」というテレビドラマのDVDを見た。主役の大沢たかおという俳優は、若い頃の俺にクリソで、思わず母親の名前が知りたくなったが、女房殿が一緒に見ていたので、俺はそんなこと一言も言わない。
伊達に古稀を過ぎたのではない。もしそんなことを口走れば、その途端に今の平和はどこかへ消えて、家はイラクと同じ、まるで「ハートロッカー」の世界になってしまう。この世は、どこに地雷が埋められているのか、ちょっと見では分からない。
都内の大病院で脳外科医をしている仁は、階段から落ちた途端に幕末の江戸にタイムスリップしてしまう。面白い。なぜか大沢たかおは現代より幕末に行ってからのほうが、急に芝居が生き生きとチャーミングになるのだ。
女がある日突然いい女になると、俺はすぐ「あ、男が出来た。それとも詰まらない奴から別のいい男に乗り換えた」と分かるのだが、男のほうはどうなんだろう。綾瀬はるかも肩が張っていて、和服の着こなしには違和感があるが、俺の好みの女だ。これも女房殿の機嫌が悪くなると、ウニも俺も不幸になるから黙っている。
DVDを二巻続けて見てひと息つくと、日本テレビで「RAINBOW二舎六房の七人」が始まった。なんと言う暗い話だ。こんな救いのないおどろおどろしい導入部で、若い人は続きを見てくれるだろうか?
俺は暗澹としてウニの背中を撫でながら、ビールをゴクゴク呑む。手洗いに行くのが面倒だから、焼酎か泡盛にしようかと思ったのだが、そうすると何か肴を女房殿に見繕ってもらわなければならないから、グッとこらえて俺は黙ってビールを呑む。
俺は、女房殿の顔色を窺って生きている。だからウニにも馬鹿にされるのか。

 

《お知らせ !!》
小学館のコミック誌で連載していた『RAINBOW二舎六房の七人』がアニメになります。詳しくはこちらをご覧下さい。
http://www.ntv.co.jp/rainbow/
 


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