第129回 『高級電気釜』

三日続きの休日に、俺は何処へも行かなかった。自由に休みが取れると言うより、休みに出来る稼業を選んでこの歳まで生きて来た。
普通の人がワラワラ繰り出す日は、俺は家籠もりする。旅行に行くのも映画を見るのも、ウィークディと決めている。本当に費用が半分で済むのだ。国が休日の分散化を進めていると言うが、はたして日本人に馴染むのだろうか。
貰ったときは真っ白だったが、なぜかだんだん薄茶色になってきた飼い猫のウニは“変身の術”を遣ったのか。あと2年も経って黒猫に変わったら、俺は猫学会に発表する。
俺がウニと一緒にゴロゴロ寝転がっていたら、一家で一番偉い人が、「すぐ髭を剃って、歯を磨きなさい」と命令した。毎日、朝晩二回も歯を磨くなんて、まともじゃないと俺は思っている。でも「パンダもキリンも歯なんか磨かない」なんてことは、口に出さない。俺は黙って歯を磨き、髭を剃った。何も言わなければ一家に波風は立たないのだ。
女房にいつの間にか完全に実権を握られて、ウニまで子分になったのだから、俺は黙って歯を擂り減らすしかない。
女房はこれから中野の「島忠」という、家具とホームセンターの店に、火災警報器と消火器を買いに行くと言う。俺は女親分のお供だ。
東京都は4月1日から住宅用火災警報器の設置を義務づけるのだそうだ。全ての部屋と、キッチン、廊下にも付けるから、何個も必要で結構な出費だ。官が勝手に作った法律に従わせられるのはイヤなのだが、俺だって火は出したくないから仕方がない。
確かに俺は少し家に閉じ籠もり過ぎだ。歳を取ると、なんでも面倒臭くなって出不精になるが、そうすると感覚がどんどん世間とズレて来る。別にズレたからって、どうなんだとも思うが、もちろんいろいろ発見があったり、刺激を受けたりすることもあるから、女房にくっついて街へ出る。
久し振りに立川の映画街に行った時も、横浜のみなとみらいに行った時も、昔とあんまり変わっていたので、俺は口をポカンとさせた。

俺はラグビージャージにジーンズで、女房について中野まで電車で行った。暖かい。冬は遠くに去って当分戻らない。桜だって来週には咲くだろう。
「島忠」は、俺の山小屋がある八ヶ岳のJマートと同じような大きな店で、鉢植えの花からビニールホースまで、ありとあらゆる物を売っている。知らない年寄りには、“でかい荒物屋だ”と俺は説明すると思う。
女房が警報器を買っている間、店をウロウロしていたら驚いた、五万何千円の電気釜を売っている。すぐ隣りの棚に五〜六千円のが並んでいるのに、あんな高い物がこのデフレ時代に売れるのかと俺は思う。
女房に訊くと、それが人気商品だと言う。俺は生まれ付いての大ウソつきだが、連れ合いは極くタマにしかウソはつかない。だからこの高い電気釜は、実際よく売れているんだろう。
五万何千円の、おかゆもおこわも玄米もオコゲだって自由自在に炊ける、IHだかマイコンだか土鍋の電気炊飯器が、売れスジの人気商品なのだから、俺みたいなドケチは絶滅危惧種で当然なのだ。
日本人は変わった。クルマとかカメラとか腕時計といった、人に見せびらかせる物しか買わなかった日本人が、見せびらかせない自宅用の高い炊飯器を買うようになったのだ。
凄い変化だと俺は思った。あの汚い自民党をやっつけて民主党に勝たせて、史上初の革命に成功した日本人を、「島忠」で俺は初めて実感した。
きっとこの五万何千円もする電気釜は、旨い御飯が炊けるのだろう。家で食べる御飯の味の差に、お金を惜しまない人が増えたのだ。
入って行く人はいそいそと、出て行く人は大きなショッピングバッグを抱えている。店内は大混雑だ。この界隈に限って、デフレとか不景気は感じない。まあ今は都心のデパートに行ったほうが、不景気のヤバさを実感できる時代なのだろう。
ウニをカニ棒で味方に引き入れて、我が家もクーデターを成功させ実権を取り戻さなければいけない。

 

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小学館のコミック誌で連載していた『RAINBOW二舎六房の七人』がアニメになります。詳しくはこちらをご覧下さい。
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