第120回 『オリバー・ストーン監督』

老い耄れたと、俺はつくづく自分が悲しい。 見栄も気取りも無くなれば、それはもうただの煙草を喫んで酒を呑み、正常位で子供を作ろうとしてバタバタする珍しい豚だと、俺は前に言ったことがある。
男にとって最低でも欠かせない条件は、見栄と気取りだと、昨日の深夜まで俺は堅く信じていた。
呑み分けの兄弟分だが飼いネコのウニはまだ子供だし、それに根がとても素直なネコだから、爺いの俺が唱える主張を信じている。だからテーブルの上で迂闊に寝返りをうって、ぶざまに床に落ちたのを女房殿に見られた時でも、なにもなかったように威厳を取り繕ったりするのが、俺には可愛くてならない。
三歳六ヶ月のウニは、立派で誇り高い男なのだ。それに比べて七十二歳六ヶ月の俺は、落ち込んでいる。
最近、爺さんたちが、不細工な中年女に貢がされた挙げ句、殺される事件が頻発しているが、そんな事件とは関係がない。誰にも何があったのか、話したくない。
珍しく食欲もなかったので、朝御飯は普通の年寄りぐらいしか食べなかった。心だけではなく食道から胃の腑まで全部、しおれ切っているんだ。
もう見栄も気取りもなんにも無い。来月の定期検査で根岸の日本医大病院へ行く時でも、きっと靴なんか磨かないだろう。血液検査で採血するとき、看護婦の田内さんがアルコールを浸した脱脂綿で腕の内側を拭くのだが、垢が出ると恥ずかしいから、ちゃんとお風呂で磨いてから行くことにしているけど、それもきっとやらないだろうと思う。
俺なんかもう、誰にどう思われてもいいんだ。ヤケというよりも、自分が悲しくて仕方がない。もう宮崎あおいに惚れられることもないだろうし、惚れられるような男でもない。
そう思うと食欲まで無くなる。兄弟分はとても盆がよく見える奴だから、そんな俺を心配そうに髭を震わせて見詰めている。

どうしてこんなことになったのか、誰にも言わないつもりだったが、言わないと腹が膨れて気持ち悪いから、ホームページにそっと書いておく。
実は昨夜、深夜一時過ぎに、オリバー・ストーン監督の「七月四日に生まれて」が、BSチャンネルで放送されることに気が付いた。
以前見たことがあるが、もう一度じっくり見ておきたいと思っていた。明日の朝、早起きする必要もない。だからトイレを済ませ、飲み物やなんかも用意して、枕の位置も慎重に決めて、俺は最初からしっかり見ると決めたのだ。
 期待していた映画を見るには、それなりの段取りがある。タイトルからちゃんと見るのが、作った人への礼儀だと俺は思っている。 
しかし、俺は一時間ぐらいで見続けられなくなってテレビを消した。眠くなったのではない。画面の重さに耐え切れなくなったのだ。
俺はサイゴン陥落の四日前に、パンナムの特別便でベトナムから脱出した男だ。あの戦争の悲惨は知っているのに、この映画の画面が見続けられなかった。
テレビを消して俺は呆然とする。なんて心が弱くなったことかと、俺は情け無くて心が灰色の鉛になった。ベトナムの悲惨から四十年以上経って、まだ人間は殺し合いを続けている。
そして老いた俺は、映画さえ見ていられない爺いになってしまったんだ。こんなになった自分は、他人様に迷惑を掛けないのがせいぜいだ。ああ、俺は悲しい。


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