第119回 『新連載』

デイリースポーツで、10月から新連載が始まった。俺は後期高齢者一歩手前の爺いだから、新連載が始まるのはとても珍しい。
足掛け18年5801回も続いた“懲りない編集長のなんだかんだ”というコラムが終了して、
「書かずに死ねるか!」というタイトルのエッセイに模様替えしてスタートしたのだ。
毎週月曜日から金曜日の五回読み切りで、毎日11字詰めで60行、合計3300字で一話になる。書きためておかないと、風邪も引けず二日酔いも出来ないから、ここしばらく俺はセッセと書きに書いた。
これだけで、俺が根はマジメで律儀なのが分かる。俺は得意の“自称”じゃなくて、ホンモノの作家なんだ。
しかし作家なんて稼業は、楽天の野村監督のように、いや、野球の監督よりもっとずっと儚い。読者の評判が思わしくなければ、すぐ連載は打ち切りになる。
大切にして長くやろうと思うのだが、つい力が入り過ぎる。亡くなった師匠の山本夏彦が、「連載は四打席一安打。つまり四回に一回、我ながら上手く書けたと思うものがあれば、それでいいんだ。毎度いいものを書こうと気張っちゃいけない」と教えてくれたのだが、俺は欲張りなんだ。
俺はこんな稼業に50近くなってから参入して、もう25年くらい続けているのだから、我ながら結構ネバッている方だと思う。
連載は生き物と一緒で、寿命がある。生き物だけじゃない。森羅万象全てに寿命がある。自民党も日本航空も今年で、どうやら寿命が来たようだし、雨戸や縁側なんてとっくに寿命が来て世の中から消えた。
多いときには19本あった連載も、この10年ほどで少しづつ減って、今では数本になった。いずれみんな無くなって、そのときが俺が作家の看板を下ろすときだと知っている。
寿命があるのは命だけではないと、何回でも同じことを繰り返すのは、俺が老い耄れだからだ。年寄りはクドクド同じことを言ったり書いたりする生き物なんだ。

今回は何を書こうかな…と思いながら、パソコンの前に坐る。何十年もやっている商売だから、坐ると何となく言葉が出て来る。(もちろん何にも出てこないで、アブラ汗が出ることもある)
字数・行数に決まりがあるから、その中で、ここはこう盛り上げて、ここで落とすなんてテクニックも使う。しかし昔は書いている本人が、書きながら涙をこぼしたり声を出して笑ったりしながら書いていた。
連載を長生きさせたいから、俺は呑みたい酒も呑まずに、知恵を絞って書いている。でも、俺の仕事部屋からは含み笑いも聞こえて来ず、涙と一緒に出る洟を拭くティッシュの音もしない。
俺は「書かずに死ねるか!」を、もう6編も書いた。人を誉めるだけでは、面白くはならない。たとえば黒木メイサは美人だ、いい女だと、いくら書いても黒木メイサのファンは満足だろうが、たいして面白い文章にはならない。あんな中村獅童なんかに言い寄られて、ロクなもんじゃないと書けば、ファンではない読者も満足する。
新聞の読者はあらゆる層にわたっていて、共産党員もいれば、創価学会の信徒もいる。俺のことが嫌いな人もいれば、好きな人だって少しはいてくれるだろう。
誰もが満足するものを書こうとするから、朝日新聞やNHKみたいな文章になってしまう。
文句もお叱りも摩擦やトラブルも覚悟で、勇気を振るわなければダメだと、俺は初心を思い出して作家に戻った。


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