第115回 『刑罰に『チン切り』を』

七月三十日の午後から、突然このホームページへのアクセスが増えて、俺はビックリした。
今までも何かの事件についてのコメントが新聞に載ったり、社会時評を書いたりすると増えることはあったが、今回のような爆発的なアクセス増になることはなかった。
だいたい七十過ぎの爺いの戯れ言や繰り言、昔噺がそんなに大勢の読者の関心を集めるとも思えない。
自分の出来る範囲で更新して、ひっそりとやって来た。 
七月十五日に店頭に並んだ「絶滅危惧種の遺言」も、地味な本だしそんなに売れているわけもない。
八月になってもホームページへのアクセス数は減らず、以前の何倍にも及ぶ。何か俺の知らないところで、とんでもないことがバレたか、ヤバイことが起きているのではないかと思ったら、気の小さい俺は食欲は変わらなかったが、酒量が落ちた。
いろいろ考えて落ち着かない日々を送っていたら、ある日、読者からのメールで、「きっこの部屋」という超人気ブログに、この「大人気ないオトナ」のことが載ったからだと分かった。
すっかり安心して、その日から酒量が戻った。

女を餌食にしてメシを喰っている男のことを、ヒモとかスケコマシと言う。
その最高峰にいる、神社で言ったら別格官幣大社みたいなのが“竿師”だ。
スケコマシやヒモは蔑称だが、竿師は尊称で遊び人の理想像だと言える。政治家で言ったら総理大臣だろう。
俺は大嘘ツキだから作家でメシを喰っているが、「ゴロツキだった若い頃は竿師だった」とは、さすがの俺も書いたことも言ったこともない。竿師とは、それほどの存在なのだ。
雨ばかり降った今年の八月初旬、世間を騒がせたスケコマシとヒモが二人いた。
役者の押尾学と自称プロサーファーの高相某だ。俺は“自称”というタイトルが、なぜかとても気に入った。
謙虚でユーモラスなのがいい。俺も「自称・竿師」と名乗って、金縁の名刺を刷ると女房に言ったら、完全に無視された。
絵描きも物書きも、絵師や文士より卑しい。易占家はなにやら立派そうだが、八卦見やロクマはうらぶれている。
スケコマシやヒモは、エクスタシーやシャブで女の懐をコクのだが、竿師はそんな物は使わない。デンマも肥後ズイキも使わず、自分の六連発か六インチ砲だけで、女の心をとろけさせ、無条件降伏させる。
完全無条件降伏だから、さもしく物をねだったり、なまズルい嘘をつかなくても、女のヘソクリや社内預金は自動的に竿師のものだ。フェラーリでもアストンマーティンでも、
女が貢ぐというより、喜んでプレゼントしてくれるのが竿師なのだが、自称なので俺は残念ながらニッサンに乗っている。
素っ裸の女が死にかけても、救急車を呼ばず見よう見真似の心臓マッサージをしたり、マネジャーを呼び出してその場からコソコソ逃げ出したりする男は、「チン切り」の刑にすればいい。
女の人が男を欲しがって発情することを、“おしもが騒ぐ”と昔の人は表現したが、日本はなんと情緒のある言葉を遣っていたのかと、俺は改めて感心する。
おしもが騒いでも、押尾学なんかと寝ると、ひとつしか無い命が危なくなるから、「自称・竿師」のほうにメールしてくれ。
絶対安全、快適なこと請け合いだとPRしておく。


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