第99回 『背番号99』

一週間ほどの旅から帰ったら、郵便受けが溢れていた。
その中にはクロネコヤマトの不在配達の通知票が何枚か入っていたのだが電話するとすぐ届けてくれて、毎度のことだが俺はクロネコたちにつくづく感心する。
この値段で、こんなに律儀に品物を届けてくれるサービスは、他の国では考えられない。
笑顔で礼儀正しいクロネコたちと、それにこのシステムを創り上げたオッサンたちは、凄い人たちだ。こんな人たちに日本の政治をやってもらいたいと俺は心から願っているが、どうやらそれは、宮浮おいに「俺に身も世もなく惚れてくれ」と言うようなことらしい。
本当に世の中は、俺の思うようにはならない。
厚労省も社会保険庁も、みんなクロネコがやれば、今よりずっと上手く行く。消えた年金なんて事態は起こりっこない。ついでに防衛省も総理大臣も、クロネコがやればいいと俺は思っている。

郵便受けの中に、アメリカからの郵便小包が入っていた。フィラデルフィアはシルベスタ・スターローンが「ロッキー」を撮った街だが、俺は小包を送ってくれる人に心当たりが無い。
大きくアベ・ジョージと書いてあるから、確かに俺が受取人だと分かったけど、肝腎の差出人が小さくて読めなかった。
俺は老眼鏡なしでは、ほとんど目の御不自由な爺いなのだ。しかし、事務次官はやった覚えがないから、封を開けても爆発することはないだろうと腹を括って封を開けたら、フィラデルフィア・フィリーズのユニフォームが出て来たから仰天した。
「大変だ!マネージャーの女房殿は何も言わなかったけど、フィリーズのフロントは俺のナックルボールを知っていて、契約してくれたんだ」
ほとんど一瞬だけど、俺はマジでそう思った。自分がとっくに古稀を過ぎているなんてことは、すっかり忘れている。けど140キロは出たスピードボールと、キャッチャーが慌てたナックルボールは、クッキリ覚えていて忘れない。

俺は、フランス座のエースだった土橋正幸さんが、東映フライヤースに入った時も、名前も忘れた信用金庫の左腕、大野豊が広島カープに入団した時も、胸が千切れるほど羨ましかった。博士にも大臣にもなりたくなんかなかったが、俺はプロ野球選手になりたかったんだ。
玄関に現れたウニが、様子がおかしい俺を見て、怪訝な声で“ニャー”と啼く。その可愛い声と同時に、白地に鮮やかに紅い99の数字が俺の目に飛び込んで来た。
田口壮が、ワールドシリーズで勝ったフィラデルフィア・フィリーズのスーパーサブのソウ・タグチが、俺にユニフォーム送ってくれたんだ。

俺は99番のユニフォームを持って、玄関に立ち尽くす。こんなに嬉しくて心が沸いたことは、ここ暫く覚えがない。
心の萎えることや、腹の立つことばかりだった。イラクやアフガンの戦争と、サブプライム・ローンに端を発した金融危機は、アメリカのブッシュ大統領のした悪事だし、麻生太郎の自公政権は連日、とんでもないことを連発して日本を劣化させ、老い耄れた俺を絶望死させようとする。
そんな時、田口壮と恵美子夫人は、俺にフィリーズの背番号99のユニフォームを送ってくれたんだ。春になったら、この半袖のユニフォームを着て、俺は表に出る。阿佐ヶ谷や荻窪を、俺は胸を張って歩き回る。
有難う。田口壮!


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