第98回 『見栄と気取り』

“見栄”と“気取り”という言葉に、みんなマイナスイメージを持っているようだが、俺はそうじゃない。見栄も気取りも、それに好奇心もスケベ心もなくなったら、それはもうただの老い耄れだ。
そんな汐垂れた爺いになる前に、俺は宮浮おいに惚れられたいと、密かに願っている。なぜ公明正大にではなく、密かになのか。それは女房殿に勘付かれると、不機嫌になられるからだ。

狭い家に鼻面を突き合わせて住んでいる相棒に、まだ会ったこともない娘にもし惚れられたら、なんてことで不機嫌になられたら、サブプライムローンで破産するより非道い。 タラとかレバなんて話は、豚に喰われろ。宮浮おいでも滝川クリステルでも、それに蒼井優でも蒼井そらでも惚れられて、一度じゃ後を引いてツラいから二回ムニャムニャすれば、不機嫌になられても納得が行く。

あ、何を書いているんだ。見栄と気取りの大切なことを書こうと俺はしてたんだ。
明日は月に一度の、掛かり付け医の大庭先生に診ていただく日だ。“酔っ払って喋っていると、時々何を喋っていたのか、途中で分からなくなります。原稿もタイトルを決めて書き出したのに、すぐテーマから逸れてあらぬ方へ行ってしまうことが再三で、実は昨夜も原稿を書いていてそうなりました。これって、もしや、いえ多分、ひょっとしてボケですかね”と、正直に俺は伺ってみる。
聞くは一時の恥、聞かざるは死ぬまで続くボケなのだ。

最初の“見栄”と“気取り”に戻る。この二つがあるから、俺たち爺いでも豚じゃなくて人間なんだ。毎朝、歯を磨き、外に出る前に靴を拭く、犬も猫もいない。
“気取り”は難しい日本語で言えば“矜持”だろう。言い切るとヤバイので、だろうと語尾を曖昧にしておく。英語だと“プライド”かも知れない。どうだ。俺も狡賢くなっただろう。テレビに出る文化人やエライ人は、みんなこういう日本語を遣う。
俺は売文渡世の職人だから、原稿依頼があれば“赤旗”でも“諸君”でも何処でも、シメタのホイと引き受けて、自分の主義主張にあまり拘らない。大工が、麻生太郎に頼まれても小沢一郎に頼まれても、断らずに家を建てるのと同じだ。
しかし、そんな俺にもプライド、つまり見栄も気取りもある。その、これが無くなればタダの死にぞこないの老い耄れだ、というようなことを、自公政権はやろうとしているんだ。
俺たちにひとり一万五千円ほど、くれてやるから取りに来いと、ボクシングもやらないのに唇がヒン曲がった麻生太郎が偉そうに言う。俺たちは乞食じゃないんだ。お前さんの子分でもなければ、ファンでもない。
何を言ってるんだ、それも俺たちが納めた税金じゃねぇか。バカヤロ。
赤い羽根を、これ見よがしに付けてテレビに映る野郎はみんなでぇ嫌いだ。
腹を立て過ぎて血圧が上がった。明日、日本医大に着くまで俺は大丈夫だろうか。


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