第96回 『カタギではない人たち』

頭の中で人殺しやテロなんて物騒なことや、不倫や売春や強姦なんてイケナイことばかり考えている作家なんか、カタギであるわけがないと、俺の師匠だった故山本夏彦は喝破した。
昭和五十年頃のことだったが、当たり前のことを言ったのに、読者は感心したのが可笑しい。昭和三十年代なら誰も驚きも頷きもしないことを、山本夏彦は読者が新鮮に受け止めると思ったから、頃合いやよしと原稿に書いてニヤリとほくそ笑んだ。ベテランはタイミングを心得て、原稿料を懐にする。
昭和五十年頃は、文士・小説家・作家の類は、既にカタギに分類されていて、世間様はそれを常識としていたのだ。
弟子だった俺も昭和六十年に、“ヤクザと役者、それに泥棒は、スラムの三兄弟だ”と書いたのだが、言葉が過ぎたのか読者に反発されて人気を落とした。この三兄弟のヤクザには、政治家と御用学者も含まれるし、役者と言った中には芸者も芸人も、競馬の騎手からプロ野球選手、それに高貴なお方まで入る。泥棒と分類した中には、銀行家も役人も間違いなく入ると俺は書いて、ほとんど作家という肩書きを失いかけたのだ。

昭和三十年代までキチンと付いていた、カタギと、そうではない人との境界線が、昭和四十年頃から曖昧になって、昭和五十年になると味噌もクソも混然と一体になった。
誰の目にも明らかにカタギではないと分かる輩が、勲章を貰い総理大臣になっても、日本のカタギは眉も顰めず首も捻らない。誰が、なぜ、いつ、日本の常識を変えたのか。
俺は、古賀政男や千代の富士や王貞治が国民栄誉賞という勲章を貰い、安倍晋三の成蹊大学はおろか中学も出ていない田中角栄が総理大臣になって、それをテレビと大新聞が囃し立てて、カタギとそうではない者の壁が取り払われたと決め付ける。
これは日本人の心の中に、厳然と立つ壁だったが、いとも簡単に消滅してしまった。
強固で厚くて高い壁に見えたのに、ベルリンの壁が壊れた時の感激もなく、日本人が永く持ち続けた壁が、唖然としたほどもろく消えてしまって跡形もない。そして、壁が取り払われたという認識すらないのだ。

平成も二十年になった今、そのまま何もなければ大きな勲章が貰えて、安楽な老後が約束されていた偉い人が、三人続けてミソを付けて大きく当てが外れたのが、人の悪い俺は嬉しくて堪らない。
順に書くと、星野仙一に福田康夫、それに北の湖元理事長だ。俺は最初からこの手合いを、まっとうなカタギだなんて思ってもいないから、どんな大言壮語を吐こうが、ウソがバレようが、無責任だろうが大麻だろうがちっとも驚かない。
金さえ持っていれば、福井日銀総裁でも村上ファンドの村上某でも、みんな偉いカタギだから、世間様が勝手に驚いたり怒ったりすればいいんだ。
どうせ俺は今度の衆院選で、偉い人には投票しないんだ。


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