第85回 『愚民による愚民の為の……』

俺は、国民年金も厚生年金も何も受け取れない。そんな悲劇的な事態に気がついたのは、つい五〜六年前の、俺が六十五歳になった時だ。
哀れだと思った呑み仲間が、いろいろ考えてくれたのが嬉しい。と、書けばみんな親切な善意の爺さんたちで、日曜日の昼間のNHKテレビみたいだけど、本当は面白がって酒の肴にしただけなのだ。

最初のひとりは、「国民年金は国民の義務で、“ネバナラヌ”英語で言えばmustだから、お前に払わせなかった地方自治体に責任がある。勇気を出して訴えろ。生まれて初めて被告じゃなくて原告になれ」と教えてくれたのだが、都知事の石原さんとはいろいろシガラミがあって、原告と被告の関係にはなり難い。

次の爺さんは、「今晩はもう役所が閉まっているから、焦らずゆっくり酒を呑んで、明日の朝、離婚しろ」と、他人ゴトだから思い切ったことを言い出す。
この話は一時間、酒の肴になったのだが、ここでは要約して書く。
つまり、夫婦別れをして生活保護を貰えば、国民年金などより割がいいという知恵だ。家も車も貯金も、それに「塀の中の懲りない面々」が百万部超えた時に文藝春秋がくれた時計も、去年の夏に生後二ヵ月半で松山から来たチョ可愛いウニという猫も全部、一切合切、女房殿に献上して、無一文になれと言うのだ。
こんな計画は、ただの絵図ではなくて、大絵図面と言う。籍を入れて十年以上経っていれば、離婚慰謝料には税金が掛からないのだと、絵図描きの爺さんは口から泡を噴いて喋った。絵図を描く軍師は絵図師で、絵図描きだと策謀家とか陰謀家になるのだから、隠語は難しい。
離婚しても家を出ずに、折り畳みベッドでも買って、そのまま今の仕事部屋に住んで、家主の女房に借りている体裁にすれば、マンマと生活保護がたんまり貰えると、二番目の爺さんが教えてくれた。
区役所の役人が見に来た時は、パソコンやテレビは部屋から母屋に移せと、かなり面倒なことを外野の爺さんが、無責任に喋る。
「離婚したら彩ちゃんにしようか、それともソニンちゃんと一緒になろうかな」と、俺が呟いたら爺さんたちは、彩ちゃんの苗字が上戸だということも知らないくせに、みんなシラけて、「アベにはこの手はダメだ」なんてほざいた。

三番目の爺さんは、そんな面倒臭いことをするより区会議員になれと、根が真面目だからNHKみたいなトーンで言う。
歳費は三百万円ぐらいだが、保守系なら、なんやかんやで年に一千万円にはなると、これはかなり結構な、美味しい話、提案、絵図だと俺には思えた。杉並区には若い頃、ゲバ棒を振り回して大暴れした連中が、二人も区会議員になっているから、俺でも大丈夫だと爺さんはこっそり教えてくれる。
「次の地方選挙で、自民や公明ではなく無所属で出ろ。決め手は土下座と涙だ。お前じゃ泣いても虫歯が痛いと思われるだけだから、選挙カーの上で泣くのは綺麗じゃなくてもいいから、娘と女房がいい」と、無責任な爺さんは配役と演出まで、微に入り細をうがってコーチしてくれた。爺さんたちは、みんな余程退屈しているんだ。
いい知恵だけど、ウチの女房は、車の上でウソ泣きするなんて芸は、いくら練習しても出来ない。それが出来る女なら今頃、小池百合子や野田聖子を相手に、総裁選を闘っている。

しかし選挙の決め手が土下座と涙なのは、日本だけではないらしい。俺が大嫌いなヒラリーは、一月のニューハンプシャー州の予備選で、ウソ泣きしたのが上手くいって味を占めて、スーパーチューズデイの前日にも、コネティカット州の集会でウルウルしてみせた。
「こんな芝居がかったことをするウソつき婆ぁに、核のスイッチなんか握らせちゃいけない」と俺が言ったら、女房は、「でもブッシュが握っている方が、もっと危ないんじゃない?」なんて言ったのだ。


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