第82回 『疑惑の24センチ』

俺のパソコンには連日80〜100本のメールが届く。そのほとんどはバイアグラやレプリカの時計、それに男の道具の増大・増強法の英文広告なのだ。
毎朝パソコンを開けるたびに、ひとつづつ読まずに消去するのは、いかに単純作業が得意で、法務省の技官を仰天させた俺でも本当にウンザリする。
しかし、誰がやっているのか知らないが、これだけ飽きもせずに送りつけて来るのは、きっと効果があって儲かるからに違いない。
儲からなければ、誰がこんなことをやるもんか。
男にしても、多分、女にしても、お互いの道具の大小は関係なく、快楽の深さと満足は惚れ合い具合に比例することを、俺たち爺いは、骨身、いや、海綿体にしみて知っている。そういえば若い頃は、芦ノ湖はおろか太平洋みたいに広大なアソコに、明礬を塗れとか、その手のことを教え合ったものだ。
懲役は特に退屈だから、南太平洋のミクロネシアから伝えられた強化法だと言って、暇さえあれば朝でも晩でも、勃起させた自分のモノを、ペタペタ細い棒で叩く奴がいた。
見るからに痛そうだったし、音も聴くに堪えなかったのだが、当人はオデコに玉の汗を滲ませながら、根気よく叩き続けていた。
歯ブラシの柄を切ったのを、丹念に時間を掛けて磨き上げ、それを海綿体と表皮の間に埋め込む手術も、塀の中ではとても流行った。皮を切るメスもなく、止血剤はおろか麻酔剤も縫合する針も糸も何もない塀の中だから、シャバにいる人には考えられないような話だろう。この“玉入れ手術”を詳しく書くと、400字詰めの原稿用紙で十枚は掛かる。
しかし、こんな人並み外れた大苦労をした奴が、助平な女に惚れられて幸せにしているという話は、俺は聞いたことがない。
一所懸命マウスをクリックしていたら、突然、萎びていじけたのと、手術後か、それとも特殊大治療後なのだろう、元気で立派というより、ほとんどラムズフェルドかチェイニーのモノに違いない、凶暴で青筋の浮いた奴と二枚、使用前・使用後のように並んで画面に映ったから、不意を突かれた俺はのけぞって、目がポイントになってしまった。
ウイークデイのデイタイムに、こんなモノをパソコンの画面に出していいものか?
俺は、頭の中の脳味噌も、それに顔まで、知らず知らずの内に、ルー大柴になっていた。
誰が、どんな日本人が、こんな広告に引っ掛かるのだろう。自民党や公明党の代議士か、さもなければ中高生に違いないと思う。
 
俺は五十八年前の事件を思い出した。あれは俺が通っていた中学の、講堂の地下だった。
俺たちは中学三年生で、みんなツルンとした顔でスリムな、若鮎のような少年だった。
前の日に、“家で姉さんかおふくろのメジャーを借りて、正確に長さを測って、正直に報告する”と決めてあったから、七〜八人いたクラスメイトは次々に、自分のモノの長さを発表した。
最初は一番勇敢だった、アメリカンフットボール部の村上で、勇ましく「俺は12センチ」と言い放って、みんなの顔色を伺う。こんなことでも、口火を切るのには勇気がいる。去年、肺癌で亡くなった村上は、勇気だけは満々とある少年だった。
この話は、まだ生きている奴は名前が出せない。
村上の次に、思い切った真剣な声で、「俺、12センチ4ミリ」と言ったのは、今は現代ロシア文学の泰斗で学者をしている少年だった。それから次々と、前の奴よりほんの数ミリづつ、長く自己申告する。
最後に言ったのは、まだとても可愛い、まるで舞の海関みたいな顔をしていた橋本龍太郎で、「なんだ、みんなそれっきゃないの?俺は24センチある」と言ったから、俺たちはもう絶望して、暗い気持ちが地下室の床に落ちそうになる。
あまりのことにみんな、暗澹としていたのだが、今は優雅な年金暮らしをしている爺さんが、検事になっていたら、検事総長にまで上り詰めただろうと思うほど、しつこく橋本を追求したら、24センチは背面部を頂点に向かって計ったのではなく、下面を先っちょから玉に掛けて計ったということが分かった。
「バカヤロ。そんな計り方があるか」と、村上が血相を変えたのに、「あ、普通はこう計るんじゃないの?」と、橋本が無邪気に言い放って、怪訝な顔をしたのが、今、思い出しても可笑しくて堪らない。
次の瞬間、橋本は殴られた鼻を両手で押さえながら、地下室の水溜まりに倒れた。

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