第73回 『長生きの励み』

時間があったのでこの原稿に取りかかる前に、俺は自分のホームページを開けて、第七十二回の“飽食のパリ”から第六十三回の“海を見て想う”まで、十回分の「あんぽんたんな日々」を、改めて読んでみた。
嘘は書かないと、ホームページを開いた時から決めているので、俺には珍しく本当のことばかり、念入りにしつこく書いてある。しかし、嘘というから実も蓋もないので、フィクションと言えば聞こえがいいんだ。
フィクションのほうが、断然桁違いに本当のことより面白い。“事実は小説より奇なり”なんて言うのは、物を知らない奴の寝言だ。
そんなことは俺が改めて言わなくても、ビクトル・ユーゴーを読めば、小川洋子を読めば誰にでも分かる。
フィクションを書かずに七十二回も、「あんぽんたんな日々」を書き続けた俺は、我ながらスゴイ!と、誰も誉めてくれないから、自分で誉めておく。

昨晩、長姉の福久子に電話をしたら、二人も従兄弟が死んだので、香典を立て替えておいたと言う。
九つ年上の姉は八十近いが、俺が物心がついた時から古稀を迎えた今まで、ずっと母親代りをしてくれている。チイママ婆さんだ。 父・正夫は四人、母・玉枝は三人兄弟だったが、俺には年下の従兄弟は二人しかいない。従兄弟と言えば、ほとんどが年上だからしょっちゅう姉が、香典を立て替えてくれる。
父方の安部も母方の梶原も、長寿の家系だが、それでも年長者から順に死んでいく。
縁起の悪いことばかり今日は書くけど、本当のことだから、読者には御辛抱いただかなければ仕様がない。

縁起の悪いことに出喰わしたり、読んだり見たりした時は、二回ペッペと唾を吐いておくと平気だと、昔ロッテルダムでオランダ人のセーラーに聞いたことがある。
それ以来俺はいつでもそうしているから、縁起が良くて運も飛び切りいいんだ。
ヤクザから作家になれたのも、世界一可愛いくて気立てのいい猫のウニに巡り会えたのも、この二回ペッペと唾を吐くおまじないのお陰だと、読者の皆様にお教えする。
人前では唾を吐きかねる時もあるから、そんな時は、薬指と小指か、中指と薬指かをそっと舐めて、何処かに擦りつけて済ましておく。 
指はどの指でも、擦りつけるのは何処でも、二回唾を吐く代用をするということに意義があるので、おまじないの効き目には、関係はないようだ。
俺は人生の前半、ヤバイことや危ないことばかりしてたから、その度にいろんなおまじないをした。だから上下両巻の厚い本が書けるほどおまじないには詳しい。

姉に借りが出来て思い出したのだが、今年は天候が不順だったせいもあって、知り合いの年長者が随分、鬼籍にお入りになった。
実は、これは俺のような男にとっては、とても都合がいい。いつまでも生き証人が健在で、「これは事実とは違う」なんて言われると、役人や政治家じゃなくても迷惑するんだ。
もうあと五年もすれば、どんな嘘をついたって、実はマリリン・モンローとは五回、ブリジッド・バルドーとは二回、寝たことがあると言ってもバレる心配はない。

長生きの励みは、余計な生き証人がいなくなることなのだ。
 

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