第69回 『瞬間ワープマシン』

昭和十二(1937)年生まれの俺は、つくづく大変な時代を生きて来たと思う。
永い人間の歴史で、こんなにも目まぐるしく、良くも悪くも全てが変わった時代は無い。
俺が幼なかった六十年前は、まだ天皇陛下が神様で、日本がいくら負けていても、最後には神風が吹いて
アメリカをやっつけると、NHKも朝日新聞も学校の先生まで、真面目な顔で言っていたんだ。
作家は本当ではないことを書くのが商売だが、俺はこのホームページでは、滅多に嘘は書かない。
油を絞った大豆の絞りカスと、今の旨い薩摩芋ではなく、アルコール原料用に作られた農林一号とか
茨城三号なんて言う、非道い芋を食べられればラッキーだった時代に、俺たちは少年時代を過ごした。
辛かった思い出ばかりではない。
戦争に負けた途端にNHKの流す唄は、詰まらない“ラジオ歌謡”から“リンゴの唄”に変わった。
今、北朝鮮のアナウンサーがニュースを読む、なんとも言えず居丈高で尊大な口調は、戦争中のNHKと同じだが、
これも戦争が終わった途端に、わざとらしく朗らかな声になったのだ。 
そして俺たちは時々だが、チューインガムにありつきバナナも食べ、そして天皇陛下の為に喜んで死ねと
教えた同じ教師から、民主主義を教わる。

野球の素晴らしさを知ったのは、チョコレートの例えようもない旨さを知ったのと、ほとんど同時だった。
野球は他のどんな遊び、缶蹴りや“泥棒巡査”それに“駆逐水雷”なんかより、
比べ物にならないほど面白かった。
十四歳になったら少年戦車兵になると、決めていた俺は、野球を知って、
将来はプロ野球選手になると変えた。
自分がカーブを投げられるようになって、相手が投げたドロップを打てるようになった頃、
ペニシリンが普及して盲腸炎や肺炎で死ぬ人は珍しくなった。

ハワイアンやカントリー・ウエスタン、ラテンリズムが街に流れ、
ちょっとませた中学生は、フランス語のシャンソンを口ずさむ。
プロペラの旅客機が羽田から主要都市に飛び、それまで寝台車で行っていた九州や北海道は、
飛行機で行くのが当たり前になった。 
憲法はそのままで、自衛隊という立派な軍隊まで出来て、朝鮮戦争が始まって終わり、
ベトナムではディエンビエンフーで、フランス軍が負けて、アメリカがアジアを共産主義から守るという
大義名分を掲げて、大軍を送り込んだ。

その頃、東京では電話が各家庭に普及して、名刺に呼び出しの番号を刷る人はいなくなった。
映画だって白黒から総天然色になり、その後はテレビ全盛時代になっていった。
エロール・フリンやジョン・ガーフィールドに換わって、ブルース・ウィリスやブラッド・ピットが現れ、
ケネディー兄弟が暗殺されると、もっと怪しいブッシュ親子が政権を握る。
戦闘機も旅客機もプロペラのは珍しくなり、癌は不治の病ではなくなった。
思えばいろんな、ほとんど無数のサプライズや発明があったのだ。
若い頃はこんな変化が楽しみで、感動でもあったのだが、老いると、
怖れというのは大袈裟だが大きな変化が疎ましくなる。

では七十歳が間近になった俺にとって、一番ショッキングな変革は何だったかと、首を捻る。
携帯電話かペニシリンか、それともバイアグラだろうかと考えて、
いや、一番はパソコン。コンピューターだと気が付く。
この七十年で一番凄いのは、パソコンの普及だ。
俺も五年前から、神楽坂の山田紙店に頼んでいた原稿用紙を止めて、
仕事は全部パソコンでするようになった。
憂鬱でも薔薇でも、字引を引かずに変換キーを押せば出て来る。
文章の削除も入れ換えもアッと言う間だ。
オレゴン州やロンドンの読者から、メールが来るし、ニュージャージーの女の方や、京都の年長者からも
貴重なアドバイスをいただく。
それに、たいていのことはグーグルで検索すれば、必要な知識は得られるから、
遂に今までお世話になった百科事典は、納戸行きになった。
パソコンは、民主主義や村上ファンドなんかと、比べ物にならないほど素晴らしい魔法の箱だ。
後の世の人は、二十世紀の後半から二十一世紀のことを、コンピューター時代と言うに違いないと俺は思っている。
でも、今から五十年後を予測しろと言われても、俺には全く分からない。
昔の冒険科学小説の世界は、ほとんど実現したように思う。 
俺の毎日の生活は、喰って寝て、必要に応じて仕事してるだけだ。
この上は、マウイでも香港でも飛行機になんか乗らずに、家の玄関から瞬間ワープ出来るようになると、
やれイミグレーションだ、何だと面倒なことが省けて、快適だと思う。

大先輩のドクター中松は発明家なんだから、都知事選なんかやめて、瞬間ワ−プマシンを俺のために作ってくれ。



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