第68回 『怯えている自分』

滝川クリステルに上戸彩、それに木村佳乃に中谷美紀と、女は綺麗でチャーミングなのが何人もいるのに、 日本には惚れ惚れするようないい男がいない。
俳優にも政治家にも学者にもいない。
歳をとって点が辛くなったのか、性格がアマノジャクだからそう思うのか分からないが、 最近俺を唸らせるような魅力のある男に出喰わさない。
だが、もっと気になるのは、老い耄れのほうだ。
老人にも俺がお手本にするような、 スッキリとして爽やかなのが少ないのだ。
正直に言って滅多にいない。 これは、駄馬が年功を積んで老いても、所詮は駄馬だということなのだろう。 長嶋茂雄や石原慎太郎、それに萩本欽一を見ていると、年長者に失礼ながら老醜無惨で胸が塞がる。

若い時、颯爽と才能をキラメかせた者が、老いて醜態を演じると、見ていて哀しくてやりきれない。
若い時にそんな晴れ姿がなかった俺に、そんなこと言われたかないと思われるだろうが、 それでも、この三人みたいな目を背ける姿を曝したくないのだ。
長嶋茂雄は本当に老い耄れた自分が、全日本チームの監督に相応しいと、思っているのだろうか。
石原慎太郎は、公金で贅沢な旅行をしたり、身内を重用しても、垢抜けない恥ずかしいことをしたと 思わないのだろうか。
萩本欽一のどんな時でも子供相手に喋るような話術を、永く芸人をやった当人が、 受ける芸だと思ってやっているのだろうか。
誰も言ってあげる者が居ないから、無惨に老醜を曝すのだ。俺は、そうなりたくない。

まだ三十代だった俺は、当時の子分の筆頭だった義田郁夫に、
「もし俺がアル中で、どうすることも出来ない、この男は再起不能だと、お前が思ったら、頭を撃ち抜け」
と言って、約束させていた。
判断を一の子分に任せて、後悔するまいと納得していた。
アル中はポン中より悲惨で、もしああなったら死刑になったほうがマシだと、当時、俺は思ったのだ。
俺はかろうじてアル中にならず、郁夫に頭をブチ抜かれず歳を重ね、逆に郁夫は肝臓を悪くして五十台の若さで、 先にあの世に行ってしまった。

五月に古稀を迎える歳になって、俺は、老醜を曝すことを怖れている。
俺は萩本欽一より石原慎太郎や 長嶋茂雄よりもっと、非道い老醜を曝すのに違いない。
永いつきあいだから、自分がどういう奴か、よく知っている。 もう二十年も前からカタギの作家だから、そんな悲惨な事態でも、頭をブチ抜いてくれる子分はいない。
頼みはただ一つ。古稀を迎えるまで終始、俺が大幸運に恵まれ続けたということだけだ。
わずかに残った運に恵まれて、俺は最後まで、惚けず、徘徊もせず、あまりみっともない姿を曝さずに過ごしたいと、 何もアテには出来ないことを願って毎日、祈りながら過ごしている。

そんな風に怯えているから、体重は遂に九十キロを割った。
三月九日現在、八十九・八キロだが、八十七キロになったら、一週間、好きな物を、好きなだけ喰って呑むと、 女房殿に俺は承諾を得ている。
多分、こんな風に他の年寄りを嫌悪しながら、内心の怯えをウツウツと書いていることが既に、老醜無惨なのだろうな。


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