第64回 『明けましておめでとうございます』

暮れの間、引きっぱなしだった風邪がやっと抜けたから、おせちとお雑煮で一杯だけ酒を呑んで、女房殿とウニに“今年も、どうぞよろしく”と言う。 

俺は今年の春に、七十になる。人並みに、というよりも、よく無事にこの歳まで生き延びたと、つくづく想う。
十歳になったのは、疎開していた熱海だったが、覚えていない。
二十歳になったのは、今では団地になっている大津刑務所だが、今になってそうだったと思うだけで、ハッキリした記憶はない。
三十歳は何処にいたのかも覚えていないが、四十歳の時は機嫌が悪くなったのを覚えている。
俺は四十歳になる年の元旦を、府中刑務所の独居房で迎えたのだ。北に面した鉄格子の窓は、破れた硝子にビニールが張ってあった。
親分には破門され家族も失って、これから四十歳を迎える俺は、お先真っ暗だった。灰色の獄衣を着て、独居房にかじかんでうずくまっていた俺が、機嫌がいいわけがない。気を取り直そうたって、酒もヒロポンも何もないんだ。
惨めな時間がなかなか過ぎてくれないから、仕方なく俺は、十句観音経という短いお経を、繰り返し百回も唱える。
亡くなった地産の竹井博友さんがお書きになった、この短いお経の本は、俺が長い懲役を務めると知った父が、「俺は信仰が無いが、このお経が心を平静にすることを知っている。今のお前に必要なのは、平静な心で物を想うことだろう」と言って、差し入れてくれたのだ。
講談社の“立身出世物語”や“プルーターク英雄伝”は、読むと心が萎えた。偉くなる人や英雄は、若い時から秀れている。三十歳になればたいてい頭角を現すか、一家をなしている。
それなのに俺は、四十になるというのに、頭角を現すどころか、尾羽うち涸らして府中の独居房にいるんだ。金も無ければ何も無い。
仕方がないから、ただ十句観音経を唱えて過ごした。そんな訳だから四十歳になった年の正月は惨めで、思い出したくない。
しかし、俺は有難い親に恵まれたと思う。この十句観音経のお陰で、なんとか無事に懲役を了えたのだ。

それから十年経った五十歳になる年の正月は、俺はなんと、小説家になっていた。ただの作家ではない。1986年に初めて出した単行本がミリオンセラーになって、俺はブームの真っ只中にいた。
永くくすぶっていた挙げ句だから、それこそ盆と正月とクリスマスと、敵の葬式が一緒にやって来たような大変な騒ぎで、だからちょっと前のことだけど、まるで記憶がない。 六十になる年はついこの前だから、はっきり覚えている。
もう俺は小説家じゃなく、ただの作家になってブームなんか泡沫のように去っていた。 
年金も払っていなかったから、貰えるわけもないので、老い耄れたらどうしようと思うと、流石の俺も心細かった。 

そして、ついに七十になる年の正月を迎えた。
よく、この歳まで……と、想う。
親と仲間のお陰だと、つくづく想う。  
今年からは下りの階段に気を付けて、転んで落ちないようにしなければいけない。
風邪とそれに、銀行や悪い奴等に気を付けなければならない。
好きな酒も四合しか呑まない。
こうして身体を大事にすれば、まだまだ大丈夫だ。
去年、六十八歳で小学館漫画賞を獲った俺だ。七十でノーベル平和賞を貰うと自分で決めている。
まだ誰にも言ってないけど、宗教戦争や人種差別を根絶する手を、俺は編み出したんだ。俺の言う通りにすれば、世界中から戦争も喧嘩も無くなる。 

松が明けたら俺は、テールコートを誂えに行く。
小学館漫画賞の授賞式は、ディナージャケットで御勘弁願ったが、確かストックホルムでやるノーベル賞は、燕尾服を着込まなきゃぁ日本の恥だと言われてしまう。

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