第63回 『海を見て想う』


12月6日  

毎年、年末に完全休日を取って、俺は一週間ほど沖縄に来る。  
なぜ沖縄かというと、ホテルもとても気に入っているけど、一番癒されるのは、海があるからだ。
俺は海が好きだ。
というより、河でも沼でも湖でも、水面をみていると心が安らぐ。  
宜保愛子という霊能者の婆さんに、初めてお目に掛かった時、俺は「私の背後霊は蟹か亀でしょう。なぜか水を見ると落ち着くし、ゴルフをしても私の打った球だけ、吸い込まれるようにウォーターハザードに入るのです」と言ったら、婆さんは俺の顔をひんがら目で睨むと、「見えます。見えます」と厳かに呟いたのだ。  
そして俺の背後霊は、そんなものではなくて、昭和二十四年に死んだ恵子姉だと言ったのだから、たいていのカタギだったら、その途端に信者か信徒、そうでもなければ少なくとも熱烈な信奉者ぐらいにはなる。  

俺は自分が元ゴロツキで数回の離婚経験者で、それに前科モンだということは、書いたり喋ったりしているが、若くして死んだ次姉のことは公開していなかった。
それをズバリと言うのだから、普通だと、この術に嵌る。  

黙って坐ればピタリと当てる易者には、マジシャンと似たトリックがあるんだ。  
目を瞑った易者は、低い静かな声で、「アナタの生まれ育った所は」と、ここで一度、間を置いて、「何か赤い……いや、橙色のものが見える。あ!柿だ。柿が実っている」なんて、呟いて薄目を開けて客の顔色を見る。少しも驚かなければ、今度は、「なんだ、この音は」ここでもちょっと間を取って、「せせらぎだ。川の流れだ。アナタの故郷には、川がありますね」。
柿と川のワンツーパンチで、易者は客をメロメロにする。柿が外れても川まで外れることはないんだ。
日本の田舎には、客が思い当たる柿の木や川が、ほぼ必ずある。  
宜保愛子にはデータマンがいて、俺と会う前に戸籍謄本を取っていたのに違いない。    

俺は「北京の五十五日」と「ガルフ・ウォー」のDVDと、何冊かの本を持って沖縄に来た。  
東京では見逃した映画を、ゆっくりじっくり見ている時間が、この歳で忙しいのを誇示するわけじゃないが、本当に無いんだ。  
主題歌は大好きな「北京の五十五日」は、テンポがのろくて、とても終わりまで見ていられなかった。
それにエヴァ・ガードナーが、片山さつきよりちょっとマシなだけの、大年増だったのに、俺はがっかりする。
政治屋はブスでも仕方がないけど、美人女優は婆さんになったら映画に出てはいけないという法律を作れ。

「ガルフ・ウオー」を見て、俺はホテルの窓から、夕日の沈む海を見る。  
こんなに美しい海で、ほんの六十年前に天皇陛下の日本軍兵士は、波を紅く染めて死んだのだ。アメリカ兵も土地の人も大勢死んだ。  
大袈裟に嘆き悼むけど、しかし、正義と神の名を楯にして、皆、決して懲りない。  
人間は懲りないということを、前科モンの俺は知っているのだが、ブッシュ大統領は御存知ない。  
古今東西の偉い人は、人間の殺し合いを止められなかった。学者も宗教家も誰も止められないから、人間は絶えず殺し合う。六十九歳の俺は沖縄の海を見詰めて、非業の死を遂げた人の無念を想う。  
祈りはしない。神様なんかいないからだ。  

東京に帰ってから、とても良くしていただいた斉藤茂太さんの葬儀に行った。
茂太さんも飛行機と船と旅が大好きな、都会的で本当に洒落た方だった。
茂太さんは九十だったが俺は、来年やっと七十だ。
茂太さんから見れば、俺なんか小僧っ子だったのだろう。


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