第60回 『前科モンみたいな顔の人たち』


自分が余り誉められない人相だから、俺は他人の非道い顔のことを、滅多に悪くは言わない。
永く人間をやっていると、どうしようもなく心の持ちようや、それにやってきたことが顔に出る。女も男も、それにオカマも、こんなことはみんな同じだ。
若い頃は神々しいほど美しかった女の人でも、嘘ばかりついていたり、自分を暗示に掛けて本心を隠し続けていると、まるで瞼の垂れたキタキツネみたいな、目を背けたいほどの婆さんになる。
ホームページでも固有名詞は書けない。思い当たったら、黙って頷いてくれれば、それでいいのだ。
最初に書いたとおり、こんな非道い顔になるのは女だけではない。
おすぎとピーコの姉妹は、器量は若い頃からせいぜいが五十人並だったけど、とても心根が良かったから、歳を取って立派なオカマになった。矢張り、何でも固有名詞を出すと、断然、話はホントらしくなって、下らない話でも面白くなる。
自分のことも書かないと、怒ったオカマの姉妹に百匁柿の熟れたのでもぶつけられて、俺は古稀を目前にして、丹波さんの待つ大霊界とやらに、出発することになってしまう。

ともかく、怒ったオカマが投げるのは、ジュブジュブに熟れた巨きな柿が、他の何より一番相応しくて、おかしい。何でも話は面白いほうがいいのだ。
俺は面白い話を、この二十年作り続けたから、顔もそんなふうになってしまった。怪し気で、助平たらしくてもこれは職業病だからどうすることも出来ない。
俺が、もし作家じゃなくて詩人だったら、きっと、もっと高尚な顔になっていたに違いない。詩人は断然、作家より格上だと俺は思っているのだが、寺山修司は詩人には入れないのだ。俺はこのホームページを、自分の価値観で書いている。寺山修司を詩人の列に、加えて堪るもんか。

ウン、確かに固有名詞を出すと、断然、面白くなる。

俺は作家になりおおしてから、永くいろんなことを我慢し続けてきた。前科モンのゴロツキ崩れだから、他の作家より気を遣うんだ。
差し障りの無いように、あらぬ誤解をされないように、八方に気を遣って生きて来た。大嫌いな奴のことでも、極く曖昧に微笑んで口を慎んでいるうちに、顔は自然と福井日銀総裁みたいな、卑怯な顔になった。
朝、鏡に髭を剃っている卑怯な爺いが映るのに、とうとう俺は我慢し切れなくなった。
せめて、人の好き嫌いは、はっきり言うと決めたのは四年前だ。多分、一度なった日銀面は、死ぬまで直らないだろうが、心ずまいは断然よくなった。 俺は日本の政治家が、ほんの二〜三の例外を除いて、みんな大嫌いだ。
政治家は自分より国民を愛さなければ、やってはいけない稼業なのに、そうじゃないから腹が立つ。自分の懐と座る椅子のことしか考えないから、日本の政治家の顔は、ホリエモンや村上某の兄か父親みたいに浅ましくなる。

今度の安倍内閣の顔触れを見て、日本は遂に崩壊すると俺は確信した。まるで、懲役の記念写真みたいな前科モン面が、臆面もなく並んでいる。
五十二歳の総理大臣は、成蹊大学を卒業したらしい。俺は成蹊の女子大生は何人か知っていたけど、男は一人も知らなかった。今回、初めて成蹊にも男子学生がいるのを知ったんだ。
総理大臣だけ、いじめられっ子のボンボン面で、大臣は女も含めてみんな、前科モン面なんだから、こんな政府で日本が隆々とするわけがない。
博奕だったら、逆目に有り金残らず張り付ける場面で、株なら売って売って売り捲る場面だ。
日銀総裁は、もう売っているのに違いない。

日本はアメリカとの戦争では、滅びなかったが、早稲田大学の雄弁会にガタガタにされて、成蹊大学出の総理大臣でトドメを刺される。


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