第58回 『俺より非道い嘘つき』

俺は本当のことは滅多に言ったことがない。
口を開ければ、本当ではないことや事実とは違うこと、つまり平たく言えば嘘やホラばかり言っている。
本当ではないことでも、シレッとして百回も言えば、たいていの場合、事実とされてしまうのだ。
それに、世間が思い込む前に、十回目くらいで、自分自身が本当にあったことだと思い込んでしまう。

俺はこんなことを、作家の特性だと信じているから、屁とも思っていないし、ましてや後ろめたくなんか思ってもいない。
アメリカのブッシュ大統領は、イラクが大量破壊兵器を持っているなんて言ったのは本当ではなかったと、散々イラク人を殺してから白状した。
俺は作家を含めて、本当ではないことを、言ったり書いたりする人物は、カタギではないと決めている。俺が決めたのではなく、これは師匠だった故山本夏彦の受け売りだ。
しかし、俺は少年時代からそんなことは知っていたので、渡世の足を洗ってカタギの裾に加わった時、躊躇わず作家を志した。
嘘はほとんど幼児の頃からついていたので、フィクションを書く作家という職業は、片山さつきが政治家になるより、俺に向いている。

「作家の俺が嘘をつかなかったら、女優さんと政治屋が目立って困るだろう」なんて、言い放ってこの二十年、大っぴらに本当ではないことばかり、言い立て書き立てて生きて来た。
だから、これでほぼ二十年弱、一緒に暮らしを共にしている女房殿は、俺のことを、“瞬間自動嘘つき器”なんて言う。
亭主の俺サマはこの五年間、カナリヤか熱帯魚ほどしか食べない、プロボクサーかモデルさんみたいなダイエットをしているのに、女房殿とそれに仔猫のウニは、遠慮なくディープインパクトのように喰らい、シロナガス鯨みたいに呑む。これも亭主の俺が瞬間的・自動的に、まことしやかなフィクションを作っているからだ。  

なぜ俺は自分のホームページに、こんな誤解を招き兼ねないことを書いたのか。
日本ではカタギと、そうではない人たちの境目が、なぜか曖昧になったからだ。
カタギと、そうではない人たちの区別は、仕事の種類ではない。何で暮らしを立てていても、少しも天地に恥じることのないまっとうな人が、正真正銘のカタギで、ちょっとでも怪しい奴は、いくら当人が固く信じていても、カタギではない。
昭和四十年頃までは、それが今よりずっとはっきりしていた。

自分のことだから遠慮せずに、しつこくもう一度繰り返す。作家はカタギではない。
色事でも犯罪でも、自分で考えたフィクションを書いて、家族を養っているのだ。
自分は朝から晩まで、おどろおどろしい事やまがまがしい妄想の羽を広げて、酒を呑んでいるのだから、誰がなんと言おうとカタギでなんかあるものか。
ブッシュ大統領もライス国務長官も、それに小泉純一郎と安倍晋三も言うまでもなく、カタギではない。
経済ヤクザのホリエモンに、乗っ取られ掛けたフジテレビの日枝会長が、公共放送だと言った途端に日本のカタギは、改めてビックリしたと、俺は思う。
田中角栄が総理大臣になり、相撲取りや芸人が国民栄誉賞をもらうようになって、カタギとそうではない人たちの垣根が、意図的に取り払われたのだ。
高貴なお方から援助交際の小娘まで、本当ではない事実とは明らかに違うことを、ほとんど自動的に口にする。

作家の俺が嘘をつくから、女優さんと政治屋が目立たなくなったように、日本人みんなが本当ではないことを、何の躊躇いもなく口に出すようになったから、テレビと大新聞が我が物顔ではびこるようになった。

いまや嘘が当たり前の世の中なんだから、俺なんかちっとも目立たない。

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