第52回 『俺が熱中したおかしな番付』

若い頃の俺は、金がなくて余程、暇だったのに違いない。
昭和59年頃に書いた原稿を整理していたら、原稿用紙の余白に、いろんな番付が書いてある。
昭和59年といえば今から22年も前で、初出版の「塀の中の懲りない面々」が昭和61年だから、その頃は暇と貧乏の真っ最中だ。
売れる当てのない原稿を、その頃はパソコンなんかないから、字引を引き引きボールペンで、一所懸命ただひたすら書くしかなかった。飽きても草臥れても、金がないから外へ呑みに行くことも出来ない。
仕方がないから、原稿用紙の余白や裏に、おかしな番付ばかり俺は創った。
原稿料や印税がバカスカ入って来たら…と、書いてあるのもあるし、ないのもある。書いてないのは、当たり前だからわざわざ書かなかったのだと思う。

とにかく金がなくて、猫の餌を買うのに汗をかいていたんだ。
妾にする女の番付というのが、数ヶ月の間隔で四枚もある。勿論、バンバン原稿料や印税が入って来たら、妾や愛人にするということだ。
その頃既に47歳だから、いい女はさんざ金を遣わなければ、ウンと言ってはくれないと、俺は知っている。
その番付の四枚の内、三枚まで、最高位の東の大関が日劇ミュージックホールの大スター・岬マコで、一枚だけ中村晃子だった。 
今や俺の読者の九割は、あの素敵だった岬マコを知らないのだから、こんな読者を相手に凄い感動的な文章を書いても通じるわけがない。 
出版業界美人番付というのは、算用数字で1985と記してあるから、昭和60年版なのだろう。
東の大関は「流行通信」の当時の超美人編集長で、後に文藝春秋に移った方だ。
まだ現役でいらっしゃるから、御名前なんか書くものか。
西の大関は集英社の受付だったお嬢さんだが、父親が丸暴の刑事だと知って、慌ててクロースアウトしているのが我ながらとても可笑しい。

食べたい魚の番付は、冬と夏の二種類があって、この当時の俺は哀しいことに、値段の高い魚は喰えなかったと、この古びた番付を見てつくづく今の幸せを想うのだ。
これは番付とは関係のない話だが、俺は釣りは好きだけどヘラ鮒とかブラックバスなんて、美味しくない魚は釣らない。
旨い魚の番付の話に戻る。
夏の筆頭はシマアジだが、冬の東の大関は何回も思い直して、書き直した揚げ句、黒々とブリと書いてある。
ちなみに夏の関脇にはアジが入り、冬の小結にワカサギが入っているから、俺は天下御免の喰いしんぼなんだ。“喰いしんぼう”ではなく、“喰いしんぼ”だと、詰まらないことに俺は、一所懸命こだわる。 

この原稿を書きおえたら、久し振りに俺は番付を創るのだ。
囲いたい女子アナ番付で、その筆頭は、フジテレビの滝川クリステルちゃんと、そんなことは半年も前からとっくに決めている。


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