第43回 『生しらすと静ごころ』


10月7日
クラブは宅配便で先に富嶽カントリーに送って、俺たちは東京駅から昼過ぎのひかりに乗って静岡に行った。  
五月に八ヶ岳でゴルフをした時、日本実業出版社の中村会長が「秋になると清水の生しらすで一杯やると、これが実に旨いから、その頃またゴルフをしましょう」と、言ってくださったのが実現したから、俺は引き籠りを一時中止してイソイソ出掛けたのだ。  
外に出ると、快楽よりも煩いの方が多そうだから、ここ暫く俺は家に引き籠って芋焼酎を呑んでいる。  
つい五年前までは、外に出るといいことや刺激があると期待の方が強かったのに、どうしてこんなに消極的になったのだろうと、自分が老い耄れたのに気が付いている俺は、それを想うたびに鬱状態になってしまう。  
年寄りは三回続けてショックを受けると、老人性の欝病の発作で、堪らず自殺してしまうのを俺は多年の経験でよく知っている。  
遺族が、「自殺なんてそんなこと、旅行に行く飛行機の予約も、宿の手配も済ましておりましたのに……」なんて言うケースだ。  
旅行の約束を反故にして、死んでしまうような男ではないと、遺族は涙ながらに語るのだが、俺はそんな衝動が痛いほど分かる。  
まず若くて綺麗な娘に、最初から爺い扱いされてかなり落ち込み、忌々しい想いをさせられて、次に打ち合わせか会議で、自分が熱心に喋ったことがろくに聴いてもらえず、そして最後に僅か四合呑んだだけなのに、蹴躓いて不様に転ぶと、俺たち爺いは生きていたくなくなる。
こんな想いをするのは、もう嫌だと思うんだ。  
医師免許を持っていないだけで、俺は自分が実は医師だと確信しているから、こんな危険は還暦を迎えた八年前に、とうに察知している。  
俺は魚の目と水虫を治したら、日本一、一昔前だったら国手と謳われた足科の医師なのだ。  
アシカはオットセイの親類ではない。  
魚の目は専門的に発音すると、ウオノメじゃなくてイオノメで、そう発音しない者は、すぐニセ医者だとばれる。  
俺は日本ではたった一人の足科の医師で、特に婦人の付け根の部分の、自分で言うのもなんだが権威なのだ。  
人生のベテランは、続けて三回ショックを与えられると、エイズや脳梗塞よりずっと危ない。  
二回目で絶対安全なところに身を潜めても、片山さつきや小池百合子みたいなヤバイ女は忍者のように、突然、何処にでも現れる。  
だから俺は一回目で大事を取って、安全なところに引き籠ると決めたのだが、遂に一回目のショックを受ける前に、仕事部屋から出ないようになったのだ。  
外に出なければ、エイズにも豚コレラにも感染しない。  
そんなわけだから、中村会長にお招きいただいた生しらすとゴルフの旅は、本当に久し振りで心が弾んだ。  
清水の玉川楼でいただいた生しらすは、お内儀の話では毎日取れるものではないのだから、俺は運がいい。  
他のおかずでは、特に牛肉が旨かった。
  牛肉は柔らかいからいいというものではない。  
むぎゅっと噛んで、なんとも言えない旨味が滲み出て来なければ、いい牛肉とは言えない。
俺は足科の医師であると共に、日本旨味評価協会の専務理事なのだ。  

中村会長と西澤社長は冷酒を旨そうに、グビグビやってらしたが、俺は仲居さんに常温の地酒を、コップでと頼む。  
「静心」か「静ごころ」か、壜のラベルを見ていないから分からないが、この酒がなんとも言えないほど良かった。
この静ごころは、女で言えば滝川クリステルか、上戸彩みたいなものだと俺は思ったのだが、中村さんも西澤さんも多分、お分かりにならないと思ったから、俺は黙って呑み続ける。
泊めていただいた富嶽カントリーのロッジは、一流ホテル並みだった。  
夜中に寝酒の自動販売機を探しにフロントに降りていったら、ナイトクラークがちゃんと教えてくれて、階段のライトを俺が登る間点けてくれたのだが、こんな心遣いに感激する。  
このゴルフクラブは、従業員にいい教育をしている。  
アウトのことは書きたくないが、インはドライバーが上手く打てた。  
上手く打てれば、ゴルフより面白いものは、競馬と麻雀、それに手本引きしか俺は知らない。
キャディーさんは凄く姿が良くて綺麗な方だった。
二十年前なら多分、俺はほとんど自動的に清水の人になっていた。  
もっと練習して、もっと上手く打てるようになりたい。
ウォーキングよりもっとゴルフをしようと俺は思った。  

中村さん、西澤さん、本当に有難うございます。
引き籠りのウツ爺いとそのつれあいは、お蔭で楽しく過ごせました。 


目次へ戻る