第37回 『馬齢を重ねて』


5月17日  
今から丁度三十年前の今日、俺は大崎署の留置場にいた。  
ロッサナ・ボデスタより綺麗だったアリタリアのスチュワデスが、革の超ミニスカートで差し入れにやって来て、
「ナオ。お誕生日おめでとう」と言ったのを覚えている。  
しかし、それから今日までの間に、俺の人生は自分でも呆れるほど変わった。
今回の「あんぽんたんな日々」は、非科学的なことを承知でロクマの話だ。  
語源やいわれは定かではないが、暗黒街では易占家や八卦見のことをロクマと言う。  
俺はこれまでの人生で二人、怖ろしく当たるロクマを知っている。  
この二人が居なかったら、俺は六十八歳の誕生日なんか迎えられなかった。  
今回はこの二人の話を、俺は感謝を籠めて物語る。  

話は三十八歳の時点から三年ほど遡る。  
俺が三十五の時に、その頃、一緒に居た女が、子供に土を踏ませて育てたいから、赤坂のマンションから何処か一軒家に引っ越したいと言いだした。  
拒む理由は無い。
女房はすぐ大田区の多摩川べりに、七百坪の凄い屋敷を見付けて来た。  
しかし、ロクマの三井英照が血相を変えて、猛烈に反対したのだ。  
太田区の沼部なんて、多摩川の川ッぺりに越したら、一家離散はもとより生き延びたとしても、死んだほうがマシという非道い目に遭うというのだ。  
三井英照は大きな地図の上で、真剣に定規を遣って卦をたてる。
大田区の沼部は俺にとって最低最悪の方位だと、美しい大年増のロクマは断言した。  
それを聞いたその頃の女房が、顔を平べったくしてカンカンに怒る。
「貴女はウチの人が好きで、赤坂に居てもらいたいから、そんなバカな嘘ッパチを言うのよ」  
と、糞味噌にウナりつけたのだ。  
暫くして三井英照は俺に、大潮の日に伊豆の下田の砂浜で、三尺掘って採った砂をほんの三グラムほど、封筒に入れて厳かにくれる。  
これさえ肌身離さず持っていれば、沼部に越して非道い目に遭っても、命だけは取り留めると言うのだ。  
俺の本名が直也なのは、親の素直な男になるようにという願いが籠もっている。
だから素直に、その砂の入った封筒を上着の内ポケットに入れた。  
そして、引っ越す直前に俺はあえなく、所轄ではなく警視庁に逮捕される。  
俺の持っていた封筒を、麻薬だと思った刑事は科学研究所、通称科研に送って鑑定する。  
十日経って戻って来た俺の封筒には、科研の鑑定書が添付されていて、それには「品目、海砂」と書いてあった。

「無駄なことに税金を遣うんじゃねぇよ。俺のファンだったロクマが、大潮の日に下田の沖を三尺掘って、取って来てくれた砂だって言っただろうに……」  
調べ室で俺はゲラゲラ笑ったのだが、本庁の刑事は納得しない。  

「なぜ、ただの砂を後生大事に、懐に隠してるんだ」  
と、疑り深い顔をしたから、その途端、反射的に俺は、顔を突き出して声を潜めて、
「これはね。あの時に女の奥に、ほんのコンマ二ほど入れるとトッパズシテ、死ぬ の死なないのという大騒ぎになるんだ」  
コンマ二と書いたのは零点二グラムのことで、トッパズスというのは、女が絶頂に達することだ。  
散々世話になったから、半分だけ分けてやると言ったらその刑事は、鼻の穴を膨らませて、警視庁の茶封筒を出した。  
その時は、そんなことで起訴を免れたのだが、警視庁に狙い込まれたチンピラは、決してそのままでは済まない。  
三年後には大崎署に逮捕されて、府中刑務所に叩き込まれる。  
三十八歳だった俺は、未決監で離婚届けに判を押し、女房や息子と他人になった。  
全て三井英照の予言通りになったのだ。  
沼部に越したのが仇で、一家離散し、死んだほうがマシという目に遭った。  
しかし俺は、半分に減った海砂を大事に持っていたので、辛うじて出所して自由になる。 

昭和五十四年に出所した俺に、再び三井英照が神秘的な大予言をしてくれたことと、もう一人のロクマ、故和泉宗章の話はこの次に書く。   
 


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