第34回 『ホーム・カミング・デイ』


4月7日  
先週の土曜日、俺は麻布中学の田中亮三理事長のお招きで、懐かしの母校に行ったのだ。 
麻布学園は私立で高校までつづいているのを、わざわざ麻布中学と書いたのは、べつにレトロを衒ったわけではない。
確かに高校まであるのだが、俺は中学で追い出されてしまったのだ。  
だから正確に、麻布中学と書いて、誰か文句でもあるか?  
ないだろう。俺の書く文章はいつでも正確で、本当のことしか書かない。  
高校まで続いている学校を、中学終了と同時に追い出されたのは、軍隊で言えば不名誉除隊だから、俺はこれまでほとんど麻布中学には顔を出していないのだ。  
警察や刑務所は屁でもないが、やはりいくら厚い面の皮に苔が生えていても、塩っぱいからなかなか麻布中学には足が向かなかった。  
それでも同窓会は、十五年ほど前に名誉会員にしてくれたので、臆面もなく出かけて行くのだが、学校に出かけて行ったのは本当に久しぶりだ。  
OBや御縁のある方が三百人も集まるこの会は、五年前に田中理事長が始められた「ホーム ・カミング ・デイ」だ。  

講堂で講演を伺った後、中庭でガーデンパーティーになって一杯ご馳走になる。  
校舎に沿って立つ桜の古木は、まだほんの一分咲きだが、俺の入学した昭和二十五年には、満開だったのを覚えている。  
昭和三十一年卒業の俺たちが、OBの最年長かなと思っていたら、とんでもない。  
お元気な爺様が大勢いらした。  
高校を卒業するのに七年も掛かってしまった俺だから、大学のことは行ったことがないから何も言えないが、中学とそれに高校に関しては一家言ある。  
いい学校は、いい友達が出来るから、いい学校なのだ。  
亡父安部正夫は神戸一中から三高に進み、母の安部玉枝は聖心女学校の四回生で、それぞれいい友達を大勢持っていたことが、末の不良息子にまで恩恵をもたらしている。  
曽野綾子さんも初対面の時、  
「あたしは貴女のお母様の後輩よ」
と、俺に優しくおっしゃってくださった。  
母との御縁がなければ、俺に声を掛けてくださるような方ではないと、俺は知っているんだ。  
永く無頼に無為な時……いや、正確に書けば、ろくでもない時間や悔いの残る時間を過ごしてしまった、はっきり言えば前科モンの俺なのに、いい友達がいるのは、麻布中学に学んだからだと、当人には分かっている。  
追い出さずにちゃんと高校まで、この学校に居させてくれたら、俺はきっと吉行淳之介先生のような作家か、橋本龍太郎より偉い政治家、そうでもなければ、堤義明先輩と肩を並べる大金持ちになっていた。  

素晴らしく綺麗な御年輩の女の方に、丁重な中に親しみの籠もった初対面の御挨拶をいただく。  
女優の村松英子さんだ。亡くなった村松剛さんの妹さんだから、麻布中学とは御縁がある。
俺はハゲのデブだけど、恐らく同年輩の村松英子さんは、もうとても桁違いにチャーミングなのだ。  
初めてお目に掛かる美しい大女優が、親しみの籠もった御挨拶をしてくださったのは、俺を韓流の人気俳優と間違えたからではない。  
「貴方のお母様は聖心でいらしたんでしょう」
と、この頃は聞かれなくなった山の手言葉で、村松英子さんはおっしゃったのだ。  
たとえば田中真紀子や泉ピン子、それに福島瑞穂はヨイトマケの言葉を貧民窟、いや、スラムのイントネイションでがなり立てる。  
どんな卑猥な言葉や差別語でも、英語で同じことを言ったり書いたりしても誰も咎めない不思議を、俺は作家になって初めて知った。  
貧民窟でも牛の糞でも、水戸様でいたすことも、汚い英語でスラム、ブゥシェ、アナルファックと言えば、たいてい叱られずに通 る。  

パーティーでは先輩の長老たちが、金婚という薦かぶりの四斗樽の鏡開きをして、皆お相伴にあずかる。  
ビールと水割り、それに日本酒のチャンポンだから、俺はたちまち桜の木にもたれて酔っ払う。  
そして、酔った頭で、ほとんど運命的だと信じられる衝撃的な再会があった。  
一昨年お亡くなりになった、故本間崇先輩の未亡人、浩子さんだ。  
知的所有権問題のオーソリティーだった弁護士の本間先輩は、倉本聰さんや矢野誠一さん、堤義明さんと同期だから、俺の三年上になる。  
お歳は伺ったことがないけど、昭和九年生まれの本間先輩の奥様だったのだから、俺とチョボチョボのはずだ。
俺は十年前の小唄の会以来、はしたないから毛ほども気配には出さないが、実はこの方に恋焦がれている。  
近寄った俺が、  
「メリーウイドウなさっていらっしゃいますか?」  
と、申し上げたら、それは美しい素敵なお顔で、ニコリとしてくださった。  
しかし、なんと美しい方だろう。  
他のオバさんや婆様みたいに、平べったい靴なんか履いてらっしゃらないんだ。
昔、“三寸”と呼ばれた、高くて華奢なハイヒールをお履きになってらっしゃる。  
形のいいお姿が、形のいいハイヒールで、いいなんてレベルを遠く超えて、俺には神々しく見えた。  
アトラクティヴという言葉は、こういう時に遣うのだと、俺は知っている。  
しかし、あでやかな本間未亡人は、もしかすると妖怪かもしれないと、俺は酔った頭で考えてていた 。
 


目次へ戻る