第31回 『父正夫は明治三十五年生まれ』

2月9日 水曜日
今月は久し振りでニゲツ会に出られる。
二月会というのは、毎月第二月曜日に細谷さんのやっている有楽町の居酒屋に集まる中学の同期会だ。
昭和二十五年に入学した時には二百五十人いた同期生が、音信が途絶えたりお亡くなりになったりして、今では二百人足らずになっているが、いくら仲がよくても寿命には勝てないから、だんだん減る。
今年に入ってから宮尾舜ちゃん、大住淳ちゃんと二人も名前が戒名に変わった
。それでも毎月、三十人は元気な爺さんが集まる。
歯医者の親玉から一億円もらったのがバレて、暇になったから、橋本龍ちゃんも今月は来るかもしれない。

この二百人の中で前科モンと年金が貰えないのは、俺だけだけど、龍ちゃんと俺だけが他の仲間とは判然と違う。
龍ちゃんと俺はバカな記者と評論家が何と言おうとカタギじゃない。
カタギは老い耄れるが、龍ちゃんと俺は何時までもケロリ、シャンとしている。バイアグラなんか要らない。

NHKから電話があって、海老ジョンイルの抜けたあと顧問になってくれと言うのかと思ったら、俺の出演した「我が心の旅」をBSUで二月十七日、木曜日の朝八時十五分から再放送するというのだ。
イギリスに父正夫の思い出を求めて、俺があちこちする番組だが、嬉しいことに評判がいいらしくて時々再放送される。
前回のオンエアを御覧になった倉本總先輩が、わざわざ富良野から電話をくださって、とても誉めていただいた。
「お前がソーホーを歩く姿は、とても良かった。日本のジャン・ギャバンだぞ」
専門家にそんなことを言っていただいたのだから、俺はたちまち舞い上がる。
家に居るのは女房殿だけなので、仕方がないから三回も、
「他の男が言ったんじゃない。倉本先輩が、この俺様のことを日本のジャン・ギャバンだと言ってくださったんだ」  
ペペルモコだぞ。ヘッドライトだぞ。シシリアンだぞ。と、俺は九官鳥みたいに繰り返した。
この「我が心の旅」は、出来がよかったらしい。
俺にはキツイことを遠慮なくツケツケ言う立川談志師匠も、「あれは、お前さんよかったよ」と、思い出す限り初めて誉めてくださったんだ。
その時、選択肢なんて贅沢なものは無かったのだが、作家じゃなくて俳優か歌手になっておけば、今頃ピンクのキャデラックを、フリートウッドとエルドラドと二台持っていたのに違いないと俺は固く信じている。

「我が心の旅」 NHKテレビ BS−U 2月17日 木曜日 朝8時15分より9時
 


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