第30回 『鳥と魚は行儀がいい?』


1月31日
俺は毎日、万歩計を付けて家を出ると、五千歩行って戻って来る。
これで半年、テコテコ歩いていたら、体重はほとんど変わらないが、ヘモグロビンA1Cの数値が五・八に下がって、主治医の大庭先生が誉めてくださった。
俺は誉められると嬉しくなって、歩きもするしカラオケだってやる。
なぜ若い頃、俺の周囲にいた人は、もっと何でも誉めてくれなかったのか。
誉めそやしてくれていたら、俺は、検事にでも博士にでもなっていたのに違いないと思う。
生まれついての甘ったれだから、誉められないと何も出来ないのだが、正直に言ったのだから馬鹿にしてはいけない。
人はいろいろ、性格も弱点もいろいろなんだ。
俺はテコテコ歩いて、大宮八幡宮に行って来た。
十八年前に死んだ父、正夫は、神主の装束を一式、烏帽子から漆塗りのポックリまで持っていた。
九州の宗像郡をルーツとする安部家は、代々神官だったと聞いているから父も資格を持っていたのに違いない。
形見分けの時、俺がその装束一式を欲しいと言ったら、長姉の福久子は、「駄 目。ナオは悪用するから……」と、にべもなく言い放ったので、貰いそびれてしまった。
世間様は、文学賞の選考委員と一部の読者を除いて皆、俺が若い頃ヤクザだったことを忘れてくれたのに、実害を蒙った兄弟は何時までも忘れないんだ。
しかし、咄嗟に悪用すると思った姉は、ただの老婆だが、ノウノ法務大臣なんかより桁違いに鋭い。
なぜ同じ素人の婆様なら、小泉純一郎はウチの姉を法務大臣にしなかったのか。
俺があの装束をせしめていたら、地鎮祭でも結婚式でもシレッとして、何でもやっていただろうと思う。
あの神官の装束一式は、兄か姉のどちらが持っているのだろうと、八幡様の境内で俺はしつこく考えていた。
爽やかに見せかけているのは、永年鍛えた擬態で、俺はしつこいしケチなんだ。 本当は。

境内を出て善福寺川に沿って歩き出すと、鴉が嫌な声を張り上げて叫ぶ。
俺は鳥の中で鴉とハゲワシが嫌いだ。
届くのならぶつけてやろうと、買ったばかりで口を開けてないコカコーラの缶 を握って、鴉がとまっている木を見上げたら、モズも数羽、一緒にいる。
鴉に缶をぶつけるのには、ほんの二メートルほど高過ぎるので、俺は百二十円のコカコーラは投げない。
しかし、それにしても、なぜ鴉とモズは同じ木にとまっていて、混血しないんだ。
考えてみたら、鳥も魚も文部省推薦動物みたいに、とても行儀がいい。
鮒と鯉も、鯛と平目もアイノコはつくらないし、ツバメと雀も恋に落ちたなんて見たことはおろか、聞いたこともない。 俺はチャンスに恵まれれば、新体操のカバエバともホイットニー・ヒューストンとも、子供を作ろうとバタバタすると思うんだが、モズさえ鴉には見向きもしないのは合点がいかない。
学のある奴に訊けば、染色体がどうのと知ったげなことを言うと、俺は知っているから訊いてなんかやらない。

お待たせしました。連載小説「トンボのように」が、スタートしました。
1931年が舞台の古めかしい話ですが、一所懸命書きますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。


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