第21回 『ビールでもグデングデンになる』


9月24日  金曜日
昨日の晩、本当に久し振りに、お茶の水のキリンシティーから阿佐ヶ谷の居酒屋と梯子して、早い時間から呑んだせいか、10時には酔っ払って寝てしまった。
だから朝の5時半には起きて、巨きなマグカップでコーヒーを飲みながら、「あんぽんたんな日々」を更新している。
あれだけ酔っ払ったのに、酒が全く残っていないのは、俺の肝臓がちゃんと機能しているからに違いない。
得意にしていた俺の六連発はこの四・五年、威勢が冴えなくなってしまったが、肝臓はまるでシアトルのイチローみたいに、元気で働いている。

しかし、それにしても、俺は酒がほとんど女学生なみに弱くなった。
チビチビ時間を掛けて盃でやれば、日本酒でもまだ一升は呑むだろうが、生憎、俺は、お燗をつけずに常温でグイとやるのが気に入っている。
これの方が断然、旨いのだから、気取った料理屋に行っても俺はこのスタイルを曲げない。
盃で呑むから品がいいとか、グラスでキュッとやるから柄が悪いなんてことは無いと俺は思っている。

昨日の夕方の5時から、摘まんだ肴を順不同に端から書く。
お茶の水のビヤホールでは、枝豆、マグロのカルパッチョ、それにもう一品がどうしても思い出せない。黒ビールをゴクゴク呑んだ。
なぜか家の冷蔵庫の中は何時でも、サッポロの黒ラベルに決まっているのだが、外で呑むと俺は、最初の一杯はほぼ必ず黒ビールを呑む。 黒ビールは肝臓に、「さ、これから一仕事して貰うことになるぜ。頼むぜ」と、いうシグナルなんだ。俺のバヤイは……。
初めて入った阿佐ヶ谷の居酒屋は、気味が悪いほど空いていた。 若い頃なら警戒して、いろいろ客が居ない理由を考えるのだが、カタギの六十七歳は呑みたい一心だから考えない。
肴が不味ければ二度と来ないだけだし、ボラれたら、金額によって喧嘩するか、黙って払うか決めるだけだと決めている。
豚の角煮、一口餃子、イカのポッポ焼き、それにチーズに衣をつけて揚げたのとを、夕飯を喰べていない俺はビールと一緒に流し込む。
余程不味いから客が来ないわけではない。値段並みの極く標準的な味なのだ。
これは建築業界の男に多いのだが、鯨か馬みたいにいくらでもビールを呑む男がいる。
この手の男は、キャバレーで最初に酒を覚えたんだ。
だから何時間でも巨きな蛙か魚のように、ビールを呑み続けるのだが、俺は喉仏まで一杯になると、もうそれ以上は呑めなくなる。
阿佐ヶ谷まで来れば家までは這ってでも帰れるから、焼酎にすればもっと呑めたのに……と、決して高くはなかった勘定を払いながら、俺は酔っ払った頭で考えていた。
居酒屋の外に出ると、商店街が歪んで見えたから、自分が酔っ払ったことが分かる。
何処かでウイスキーを3オンスほどやりたいと思った気持ちを、俺は懸命に鎮圧した。
去年の暮れに古い兄弟分のMが、酔って階段から転落して、9月になっても入院したままでいる。
姐さんが、見舞いに来てくれるなと言うんだから、気取り屋の兄弟分は、容態が見られたくないほど悪いのだろう。
仲がよかった松尾和子も、中島らもも皆、酒呑みは階段から転げ落ちて死ぬ 。
六十七歳になった俺は、ビールでヘベレケになるようになっちゃったんだ。
ビールでそんなになるなんて、参っちまうけど、街も行き交う人も揺れてるんだから、俺は間違いなく酔っ払っている。
気の小さい俺はタクシーを止めて、近くで悪いね……と言いながら家に帰った。
だから、この文章が書けている。
今晩は最初からウイスキーを呑もう。


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