第16回 『素晴らしい女流が居た』


6月16日 水曜日 快晴 ホームページを見た方からメールを、日に何通もいただく。
励ましてくださる方や褒めてくださる方がほとんどだが、これでウカれていてはいけないと俺は思っているから、我ながら随分オトナになったものだと惚れぼれする。
書いた本を褒めてくださると、いい加減なことは出来ない。何時でも内容と主張のあるものを書かなきゃいけないと、俺みたいな男でもこれは随分なプレッシャーなのだ。

最近、俺は凄い小説家を見付けた。 小川洋子だ。
この中年の女流には二年ほど前に、テレビの番組で御一緒したことがある。 その頃の俺は、まだ作品を拝見したことがなかったので、こんな凄い小説家だとは知らなかった。
はしっこい癖に大きく抜けたところのある俺は、しばしば同じような痛恨事をやってのける。
今、世界中で三本の指に間違いなく入るいい女の小倉弘子とも、マネジメントの女房殿の言では、数年前に三回も一緒にテレビをやっているのだが、何としたことか俺の記憶にない。
数年前だろうと、いい女はいい女だ。口説いたり触ったりはしないまでも、記憶にないわけがないのだ。
刑事・検事のお調べじゃないのだから、別にトボケなくてもいいのだが、絶世の美女と一緒に仕事をしたのに、どうして覚えていないのだろう。
こんなことで俺は自分のポテンツが衰えたことを知って、哀しくなる。不機嫌になる。
小川洋子は小倉弘子と違って、忘れてしまったのではない。
とても感じのいい正真正銘のカタギの主婦だったと、ハッキリ覚えている。
残念で腹が立つのは、これほどの偉大な小説家だと言う認識が、俺に無かったことだ。
「博士の愛した数式」を、なぜ俺は小川洋子にお目に掛かる前に読まなかったのか。
まだ御覧になっていない方には、この小説をお読みになることを、滅多にしないことだが俺はお勧めする。
この二十年で俺が読んだ一番素晴らしい小説なのだ。
死ぬまで書いても、いくら小器用に真似をしたって、俺にはとてもこんな肌理の細かい美しい小説は書けない。
資質と才能に差が有り過ぎる。これは小倉弘子と田中真紀子を比べるようなことだ。
デビューが同じ頃だった故樋口修吉も上手くて、作品を読む度に俺は自分とのどうしようもない差を思い知らされて、機嫌が悪くなったものだが、小川洋子は俺より二十も若いのだから、まず先に死んではくれない。

俺はこれから先、ほとんど無限に機嫌が悪くなる。 気を取り直さなければいけない。
資質や才能に拘らず、俺にしか書けない分野があるんだ。
乞食になるのも野垂れ死ぬのも覚悟の上だが、ビールが勝手に呑めなくなるのは辛ら過ぎる。
編集者に頭を下げるのは嫌だから、俺は秋からホームページで小説の連載を始めると決めた。


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